2019年7月19日 (金)

この歌

長くアクセスランキングで1位を続けて、

今でもランキング入りしているのが、

今更ではあるが、

この歌は記しておかなければいけない。


2017年8月20日 (日)

万年補欠の大声援


この時は、作曲者の玉置浩二さんとの

コラボで歌う竹原ピストルさんのシーン。

2019年7月18日 (木)

日記とブログと基準と。

日記という形でブログを綴るに辺り、

自分なりのやり様はある


2017年6月18日 (日)

今に思えば

2017年6月30日 (金)

日記


ブログを書き綴ることで、

どうにか日々を過ごせているという思い。

そんな思いとは関係無く流れる人の時間。


基準を決めたがっていたな、、、この頃は。

2019年7月17日 (水)

お袋の入院日誌

転院後の一ヵ月間を見返してみて、

アッという間だったと感じていた時間が、

こんなに穏やかなさざ波のように、

ゆったりと流れていたんだと、

改めて感じた。


2017年2月 1日 (水)

お袋の入院14日目(転院1日目) ~転院~

2017年2月 8日 (水)

お袋の入院21日目(転院8日目) ~お元気で~

2017年3月 4日 (土)

黄泉の国へ

2019年7月16日 (火)

ここから・・・

この日から、お袋の入院日誌が始まる。


2017年1月19日 (木)

大丈夫、、、かな。


1月に入ってから、お袋の血糖値は急に不安定化。

数日前から食欲も落ち、この日を迎えていた。


リビングには、お袋専用のソファーがある。

そこでテレビを見たり、好きなパズルをしたり。

ここからは、、、

もう其処へは二度と戻れないと分かっている日々。

そのソファーに寝そべることは、もう無い。。。

2019年7月15日 (月)

脇道事情

仕事柄、軽トラでの移動が殆どで、

お客様宅への動線は出来るだけ、

ショートカットしたい衝動に駆られる!


そんな思いが時として、手痛い仕打となって

フィードバックされてくる、、、そんなお話。


2016年12月16日 (金)

一本道での出来事。

2019年7月14日 (日)

こんな話も、一個くらいはイイかなと思い、

ここに取り上げてみた。


2016年11月 9日 (水)

助け人


嘘の付けない、実直で生真面目な親父だったけど、

頑固で気が短く、とくに初対面の人には、

誤解されることもしばしばだったとは、

お袋の談。

ただ、、、

縁を紡いだ相手には、とことん誠意を尽くす。

そんな大正生まれの心意気を持つ親父だった。

2019年7月13日 (土)

あるある!

日記は日々を綴るものだから、

一つとして同じにはならないが、

似たようなことを書き綴ることはある!

何年も続けてれば、尚のことだ。


2016年10月31日 (月)

ブログを書いていると、


こんな記事も、何度か書いたな!?

その日

語り継ぐべき話を、語れる時に言えるだけ。

お袋は折に触れて、語ってくれていた。


2016年8月15日 (月)

その日


俺はここで、継いで行く。

2019年7月12日 (金)

思え!

”本来、絶対的な善悪は存在しないもの。

 人が善悪を実体化しているに過ぎない。

 ゆえに、身勝手な善悪の価値観は、

 すべて囚われであり、妄想に過ぎない ”

そんな教えがあるのだとか!


2016年5月20日 (金)

端座して実相を思え


樹木希林さんの、ご冥福を祈ります。

           合掌

2019年7月11日 (木)

継ぎ、紡ぐ。

何かや誰かから見守られ生かされている。

人はそうやって命を継ぎ、紡いで来た。


2016年5月25日 (水)

守り人(もりびと)


これからも、ずーっとそうやって生きて行く。

2019年7月10日 (水)

熊本地震

今後もずーっと、忘れることの無い揺れの恐怖。

2度目に本震が来ると云う稀有な現象も、

今では周知のことで、戒めとなった。


2016年4月14日 (木)

地震・余震

2016年4月16日 (土)

新たな本震⁉


災害は、いつでもどこでも何度でも。

2019年7月 9日 (火)

レジ周りの話

いつものコンビニで見かけたこの風景が、

いまに繋がるレジ打ち話の口火を切った。


2016年4月26日 (火)

一所懸命


あのバイトさんは、もう社会人か?

レジ周りも、随分と様変わりしたな!

2019年7月 8日 (月)

前触れ

この記事を綴ったその一年後に、

此処に出て来るホスピスでお袋は、

手厚い看護を受けることとなる。


2016年2月13日 (土)

人の言う。


いろいろと思い出してしまった。。。

2019年7月 7日 (日)

言葉の戯れ

どんな無理難題に思えることも、

ちょっとした気付きで、

解決出来たりもする。


2016年1月14日 (木)

承天寺報賽式


うろたえる前に、

まずは一息入れてみる。


どんな違いも対立も、しょせん言葉の戯れ


きっと、そうだな!

 

2019年7月 6日 (土)

塞翁が馬

『下流老人』、何と寂しい響きの言葉か!

『一億総活躍社会』、一見勇もしくも思えるが?


2015年10月10日 (土)

下流老人


2015年10月23日 (金)

1億総活躍社会


時期を同じくして綴られた2つの記事。

表裏一体の危うい世相を反映している。


億を超える人間が暮らす社会の憂うつ。

それでも人は生きて行く。

弱くてタフな、塞翁が馬として。

2019年7月 4日 (木)

修理屋の端くれ

テレビの修理は主に電子部品の交換作業だったが、

ラジカセの場合の多くは、メカ部品の交換だった。


東芝・ナショナル・サンヨー、、、そしてソニー。

中でもソニー製のラジカセ修理には難儀した記憶がある。

遠い記憶の中の思い出である。


2015年10月29日 (木)

ラジカセ


修理した数は記憶に無いが、修理台帳をひもとけば、

その数と同時に、遠い記憶も甦るかな?

2019年7月 3日 (水)

尊敬の念

こんなことまで書いていたか。


2015年7月26日 (日)

光る、東芝。


土光敏夫さんを知る人も、

減って来たんだろうなぁ。

俺もそんなに知ってる訳では無いが、

裏表がなく、役職や年齢に関係無く、

フランクな性格と対応力で、

行革を強力に推進した人物!

そんな風に思っている。


親父が土光さんを尊敬してやまなかったのも、

そんな信念にあやかりたいと思っていたから。

きっとそうだな!

2019年6月30日 (日)

隠れた病の説明

この年の4月から、総合病院の紹介という形で、

自宅近くのクリニックでお世話になっていたお袋。


転院早々、熱発に顔の赤みと腫れの症状から、

もとの総合病院に入院と云うことになったのだ。

 

2015年4月13日 (月)

入院3日目 その2 ~説明~


この記事を読み返して思い出したこと!

主治医から、今回の発熱と腫れの原因はまだだが、

それよりも重篤な病が見つかったとのことだった。

説明は、循環器内科の先生から受けた。

心臓の病だった。


ただ、
たぶんその時にはすでに、

胆管に癌は出来ていたと思われるのだが、

発見は難しかったのだろうなぁ。

でも、例えこのタイミングで分かったとして、

どうなっていたかは、誰にも予測できないし。

隠れた病は、一つでは無かったということか。

2019年6月29日 (土)

確かに、何てことないな!

たまには、こんな日常を切り取りたいのかな?

それにしても、今よりは忙しいぞ(^^)v

 

2015年3月31日 (火)

何てことない、普段の一日。


そんな日を選んで綴ったんだな、きっと(^^;

2019年6月27日 (木)

ウォーキング公園

親父が発病したのが、平成12年の年明け。

脳梗塞の後遺症で、若干の左半身まひを発症。

そのリハビリ目的で通ったのが、

現在、ウォーキングコースとして俺も、

使わせて頂いているこの公園の遊歩道。


2015年2月20日 (金)

遊歩道


親父が特に気に入っていた場所が、

写真の段違い鉄棒付近の風景。

ここで屈伸運動をしながら、

同じ様に散歩をされていた方々と、

暫しの談笑を楽しんだりしていた。

親父は犬が好きだったから、

犬連れの方とは、顔なじみになっていたなぁ。


いろいろ思い出すよね(^^)

 

2019年6月26日 (水)

微笑の連鎖

たまたま幼稚園送迎バスの後ろで信号待ちしていて、

その後部座席の、一人の園児と目が合って起こった物語。


 

2014年12月12日 (金)

幼稚園バス


幼稚園バスの中は、、、

友達が騒ぎだしたことへのリアクションの連鎖が、

渦を巻くようにバス中のみんなを巻き込みながら、

大騒ぎになっていたのだと思う。


前列の子は、何が何だか分からなかっただろうに、

この年齢の子供特有のノリのよさが

見てとれた場面だったのを思い出した。

2019年6月25日 (火)

茶飯事

病院での、待合室あるある話。

 

2014年10月24日 (金)

通院日 10/24


総合病院の待合室は、早朝から混んでいたなぁ。

予約制だけど、そうは簡単じゃないんだよね(◞‸◟)

今でもきっと、同じだな!

2019年6月23日 (日)

辛いな!

こんなことも綴っていたんだな。

読んでると、いろいろ思い出す。

 

2014年8月 1日 (金)

贖罪


親父が亡くなったあの日、

その病室で繰り広げられた蘇生術の衝撃を、

目の当たりにした俺は、ただ立ち尽くした。

「もう、やめて下さい!」

その一言さえ云えぬままに。

6年の時の流れが、落ち着きをもたらした。

それでもこの思いは、一生持ち続けることになる。

2019年6月20日 (木)

大事なこと

親父の一周忌法要も済んではいたが、

まだこの頃の記事は不安定さが滲む。

 

2014年6月22日 (日)

些細なこと


いったい何のことを綴っているのか?

そして、何が言いたいのか?

何だかよく分からないことが多い。


ただ、この日の日記からは、

気を鎮めようとする心が感じられた。

2019年6月19日 (水)

若き研究者

STAP細胞関連の始まりの記事がこれ。


2014年4月10日 (木)

小保方春子さん


この記事を含めて全部で10個綴ったが、

先日書いた『STAP細胞への郷愁』で、

打ち留めになりそうだ。


何度も同じことを書いているが、

STAP現象には、ほんとに驚くと同時に、

大いなる可能性を感じていた。

それだけに、、、痛恨の極みだ!


最後にもう一度、総括しておきたくて。

2019年6月16日 (日)

どういうこと?

『決断の時』を綴った次の日に、

親父は入院した!

何かを決断しなきゃいけないような、

そんな雰囲気を出しているが・・・。

いったい何を決断するというのか?


久しぶりに読み返してみると、

不可解な事ばかり?


確かに介助生活も長くはなっていたが、

このタイミングで何を思ったのだろう?

まったく思い出せない俺がいる(◎_◎;) 


俺が書いたものなのに、、、

まるで違う人が書いたブログみたい(>_<)


やはり、検証してよかったんだな。


2013年4月15日 (月)

決断のとき

 

2019年6月15日 (土)

先行き不安

  2013年3月30日 (土)

  弱音

 

果してどんな弱音を吐いたのか?

6年ほど前のことだというのに、

全く思い出せんのよ (◞‸◟)


俺のことだから、とんでもないことを?

それにしても、二十歳のころと

何にも変わって無いな、精神性が。

しかも、酒のせいにしてるし・・・


情けないぞ、、、俺  <`ヘ´>

2019年6月14日 (金)

生存意義

  2013年2月23日 (土)

        ごきげんよう!


今日から、回顧記事を綴ることにした。

まずは、、、

2013年2月23日。

この日から『しんがり日記』は始まった!


出だしは丁寧語で綴っていた。

無難に始めようとしたんだな (^^;


>日々の生活は、両親の生きた証であり、私の生存意義なのだと

>自らにいいきかせています。


これからどのように進めて行けばいいか?

何も分からずにただ、その時々を綴って行く、

たぶんそんな風に思っていたのかな?


遠からずお別れが来る両親との日々を、

自らの存在意義と照らし合わせて、

このブログで結実させたい(^^♪


そんなことも、思っていたのかな。

2019年6月13日 (木)

再出

BBIQブログが閉鎖になるまで、

あと一月半あまり。


これからの残された日々は、

回顧録を描くようなブログにしたい。

そんなことを思っている。


具体的には、、、

過去の記事から俺が気になったものを選んで、

それに対してのリアクションやダメ出しをする。

要するに、けじめをつけるということ。


ほとんどアクセスが無くなったブログだから、

この時期に、今のタイミングでこそ出来ること。

俺が俺へ贈る、メッセージ的な記事を綴ろうと、

そんなことを企ててみた!


どうせ終わるんだから、いいよな (^^ゞ

2019年6月12日 (水)

そう云えば・・・

今から20年くらい前、

系列先のメーカー販売会社営業所が、

統合されるという時のこと。


販売店にも困惑があったが、

当時、非正規で雇用されておられた、

受付の女性が、真っ先に解雇された。


その方は、受付業務に留まらず、

展示会などの催しでは、

独自のアイデアと工夫を凝らして、

商品のプレゼンに長けた人材だった。


にも拘らず、彼女は当然の如く解雇された。

「貴女ほどの才覚があれば、何処でも通用する!」

そんな餞別の言葉で送ったかどうかは知らないが、

販売店の中では、惜しむ声が多かったと共に、

企業の冷淡さと、非正規雇用の儚さを、

痛感させられた。


そして、、、

それから10年以上の時が経ち、

その家電販売会社と付かず離れずの、

曖昧な関係性を保ち続けていた俺は、

今に思えば、それが最後の出席になったが、

そのメーカーの新製品発表会に出かけた。


そこで、、、
「〇〇さん!」

俺のことなど知る人の居ない筈の場所で、

声をかけてくる人物がいた!

あの時、営業所を解雇された女性だった。


何と彼女、、、

どこかのマネージメント会社に所属し、

その日は、主催者からの依頼で、

新製品発表会の商品プレゼン統括として、

派遣されて来たのだという (@_@)


積もる話もあったが、そこそこにして

挨拶を済ませ、その場を後にしようとした時、

別れ際の彼女がひと言、、、

「あの時は、本当に勉強になりました。

 あの経験があっての今だと思っています」


逆境をバネにし、乗り越えてきた強さと風格。

目線の先には、更なる躍進を遂げるための、

未来予想図が広がっているように思えた。

 

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