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カテゴリ「お袋のむかし話」の記事 Feed

2016年8月15日 (月)

その日

昭和20年8月15日、、、その日は暑い日だった。


空襲で、町中や工場は大きな被害を受け、

里山に住むお袋家族にも、不安な日々が続いていた。

そんな中、麓の親戚宅へ少しだけの家財道具を

荷車に積んで、父親と共にその日運んだお袋。

片道2里半ほどの道程を歩き終えるころ、

そろそろお昼、、、玉音放送の時間が近づく。


大人たちが、天皇陛下のお言葉に我を忘れている時、

何事か分からぬお袋はただ、その様子を凝視していた。


空襲から逃す目的で牽いたリヤカーの荷物は、

そのまま持ち帰ることはせず、後日とした。

父親がそうしようと決めたのだと云う。

気疲れもそうだが、安堵感や脱力感、、、

何より、戦火の思い出を持ち帰るのではなく、

新たな気持ちで引き取りに行きたい!

そんな思いがきっとあった。



その日、、、戦争は終わった。

 

2016年8月 8日 (月)

空襲

小学校を出て高等科2年を卒業し、14歳で仕事に就いたお袋。

地域内にある化学工場で、酸素やアンモニアのボンベ詰めの

管理補佐で、記帳などをやっていたという。

学校を出て家にいると、徴用に駆り出されるのを嫌がっての

仕事だったらしい。

それにしても危険な職場だったらしく、空襲警報は常ではあったが、

ある日の空爆で工場は爆破、頑強な防空壕へ避難途中の同僚が、

敵機の機銃掃射で命を落とされた。

お袋は避難行動が間に合わず、工場裏の簡易な避難壕に身を寄せ、

運よく命を拾ったのだと聞かされた。


終戦の、ほんのひと月ほど前の話。

2016年8月 5日 (金)

うどん作り

毎晩、、、夕食はうどん三昧。

配給米も少なくなり、小麦粉をこねる日々が続く。


そのうち、うどん作りの腕も上がり、

身内ばかりか、親類縁者からも頼まれるほどに。


うどんと芋で食いつないで来た、戦後の混乱期。

この頃の話をするお袋はいつでも、、、雄弁だ。

2016年7月28日 (木)

夕焼け

夏の夕焼け、、、川の向こう渡るな

秋の夕焼け、、、釜研いで待っとけ



夏の夕焼けは、夕立のしるし、、、

間違っても川を渡ってはいけない。

川は氾濫し、戻っては来れない。


秋の夕焼けは、晴れのしるし、、、

しっかりと準備を怠らず、

収穫の時を待て。



真っ赤な夕焼けの空になったら、

お袋がよく話してくれたお話。

2016年7月13日 (水)

お袋のむかし話

たま~に話を聞くこともある、、、お袋の昔話。


戦後、、、幼なじみのアイちゃんの誘いで、

洋裁学校に入り、そこで基礎を学ぶ。

当時は生地の乏しい時代、母親の着物をほどいて

練習用の布をこさえ、まずはワンピースを縫った。


NHKの連ドラでもやっているように、戦後間の無いころ、

今の食に必死で先の見えない混乱期でも、いや、、、

だからこそ、女性の衣への憧れは増して行ったのだろう。


最初は誘われて仕方なくやりだした洋裁の道。

いつしかお袋はみるみるうちに腕を上げ、

「型紙さえあれば、縫えない物は無い」

そんな風に息巻くほど凄腕の縫子として

お店を渡り歩いたほどだったと、、、得意げに話す。


昭和22年から34年ほどまでの、、、おはなし。