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2017年11月14日 (火)

包丁研ぎ機

まだ駆け出しの頃、はじめてのおつかいでは無いけれど、

顔見せと度胸試しを兼ねて、包丁研ぎ機の出張実演販売を

やったことがあった。


誰にでも簡単に包丁やハサミが研げるというふれ込みだから、

二十歳そこそこの、包丁など研いだことなどなさそうな

ど素人の俺に、切れ味の落ちた包丁がスイスイ研げたなら、

きっと売れるに違いない!、、、そんな皮算用もあった。


結果は一週間で売れたのは、たったの1台。

たぶん、50件ほど訪問したような記憶はある。


もちろん、お客様に顔を覚えて頂くのが主たる目的とはいえ、

さすがに1台だけとは情けない!


それから3ヵ月間をかけて、ほぼ全客を訪問、、、

売れた台数が確か15台ほどだった。

よくよく考えたら、突然の押し売りに近い諸行に、

よくぞお付き合い頂けたものだ (-_-;)

家電屋デビューの餞別に、お得意様の計らいだったのかな。


砥石で包丁を研ぎながら、ふと思い出した気恥ずかしい話。

 

2017年10月11日 (水)

10月10日

いつの頃までか、10月10日が体育の日だった。

この近辺の、週末日曜日が運動会だったと思う。


俺の住む地区は、小学校まで片道約2㎞足らず。

それでも校区内では、最も離れた地区に住んでいた。

因みに隣の校区の学校までは、往復でも1km足らず。


運動会は苦手だったので、しぶしぶ出掛けていた。

こんな時の学校までの道程は、頗る長く感じる。

この時期の登校時間帯は、肌寒かった記憶もある。

家から半袖半ズボンの体操着姿だったのが理由か?

途中、堪らず小走りで先を急いだ運動会の朝。

楽しみでは無かったのに、妙に高ぶっていた。

誰かと競争したり、大勢の人に見られるのが嫌、

そんな気持ちとは裏腹に、日頃目立たない小心者は、

ここぞとばかりに、妙に頑張ってみたりするもの。

失敗したり、負けて目立つのが怖いから、

逃げ口上で、、、『運動会が嫌い!』

などと云っていた俺は、実は目立ちたがり屋で

人に褒めて伸ばされたいタイプの人間なのだ!



少しばかり、徒競走に自信があって、

それで目立ちたかった俺の運動会は、

ごく平凡な記録と誰の記憶に留まることも無い、

ごくごく普通の、やっぱり苦手な運動会だった。

2017年8月24日 (木)

父方の伯母

親父は、母子家庭で育った。自分の父親の記憶は無い。

詳しいことはわからないが、親父には姉がいた。

3人いた姉のうち、2人は幼くして亡くなり、

歳の離れた長姉は、鉄道員と結婚し満州へと渡った。


姉(伯母)夫婦は満州で2人の子供を授かったという。

戦後、命がけの帰還も実らず、満州の地で果てたとの

不確かな知らせを、漫然と信じることの出来ない親父は、

ほかになす術もなく、ただ中国残量孤児のテレビ放送を、

食い入るように見ていたのを覚えている。



そして時は経ち、、、

先日テレビのニュースで、満州からの引き揚げ者の方の一人が、

戦後72年にして、満州での日本人の生きた証となる資料を

精査してもらうべく、大学の研究者に依頼をされたと聞いた。

満州での開拓民として、当時の日本人が如何にして働き、

家族を育みコミュニティーを築いて行ったのか。

そして終戦間際、、、

ロシア侵攻で、塗炭の苦しみにあい、望郷の念虚しく

亡くなっていった市民の無念を思うとき、

彼らがそこで確かに生きたその足跡を記録に残すことは、

彼の地に眠る開拓民の悲願であり、そしてそれはきっと、

引き揚げ者の方々にとっても、同じ思いであるに違いない。


俺にとっても、父方の伯母の存在は知る由も無く、

今となっては是非も無いが、専門家の精査を待てば、

満州鉄道に勤務されていた方々の生活の一部でも

垣間見ることが出来るのかもしれない。

2017年1月 9日 (月)

変わらぬ散歩コース

ふいに立ち寄った、かつてのリハビリ散歩コース。

そこは親父のお気に入りだった公園の周回コース。

ここを、平成12年の3月からコースと定め約11年半。

最初はおぼつかない足取りで、ほんの短い距離を。

慣れて来ると周回を離れ、園外の田圃あぜ道までも。


その記録をここにも書き留めておきたくなった。


平成12年 197日 平成13年 199日
 平成14年 258日

平成15年 250日 平成16年 249日 平成17年 166日

平成18年 102日 平成19年 180日 平成20年 142日

平成21年 189日 平成22年 177日 平成23年   32日 

約12年間で、2,141日通ったことになっている。


暑かったり寒かったり、早朝だったり暗くなってからだったり。

雨の中を傘差して、あるいは真っ赤な夕陽を背に浴びながら。

 

平成14年~16年は、入院しなかったから回数も多かった。

平成23年ころはもう、、、車椅子だったなぁ。

平成24年や亡くなる25年には散歩コースをただ、

眺めるだけだった、、、車窓から。

それでも、たまの気分転換にはなっていたのかな!


いろんなことを思い出させてくれる、散歩コースなのだ。

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2017年1月 6日 (金)

仕事で出向いた先は、親父の代からのお客様宅。

作業を終え、何気なく気配の無い奥様のことを尋ねると、


「亡くなった」


話しの合間に、ぼそっとおっしゃった。


それから話しは現役当時の仕事内容や、

親父との関係性、、、親父の事故、

そこからの復活にまつわる話。


奥様を亡くされた悲しみを、拭い去りたいかのように、

話は一時間を越す長時間に及び、それでも足りなさそうに

されていたが、次に行かねばならぬを承知頂き帰宅の途に。


お一人暮らしには広過ぎるお宅、、、今週末の雨が、

静けさと肌寒さ、、、そして寂しさを助長させることだろう。


それでも普段の生活は、まだまだ続く、、、

それ以上でも、以下でもなく。

2016年12月29日 (木)

偉かっちゃん!

親父の口癖でもあった言葉に、

「偉かっちゃん」

と云うのがあった!


よく、孫に言い聞かせるように放っていた言葉。

聞き様によっては、自らを鼓舞するようにも。

そう云えばお袋がよく、

「誰からも言うてもらえんけん、

 自分で言いよらすとたい、、、自分に!」

なんて云って笑っていた。


まぁお世辞でも、なかなか言っては貰えないよなぁ・・・

「あんたは、偉かねぇ~」 何て言う言葉は。



それでも、、、馴染のお客様からは、今でも・・・

「よかお父さんやったねぇ~」

そんな風に云って貰える。

やっぱり、、、偉かっちゃん?

2016年12月 8日 (木)

若気の至り

それほど家業に執着していた訳では無く

出来れば逃げ出したいが、他にあてもなく、

ただ悶々と時を無駄に費やしていたころ、

よく親父と些細な口論を繰り返した。


そんなある日、口に出してはいけないことを

俺は親父に投げつけてしまった。


両親の哀し気な顔、、、ハッとして我に返る俺。


居たたまれない沈黙がどのくらい続いたのか?

思い出すのは、親父の一言。

「どげんかなるばい、、、人生は!」

成るようになる、生かされている人生なのだから。

そんな風に聞こえたのを覚えている。


♫どうにかなるさ 人生は

  明るい歌でも歌っていくのさ Joy!! Joy!!・・・

 

 

 

2016年12月 4日 (日)

思いは、届く⁉

もうかれこれ15年ほど前のこと。

高校時代、唯一の友人であった男に呼び出された。

近くの喫茶店で待ち合わせた彼が開口一番、、、

友人「俺、再婚したい相手がおるんやけどcoldsweats01

俺 「はあぁぁぁ~~~coldsweats02

そんなもん、恋愛経験が大河の一滴ほどの俺に聞くかannoy

と、内心では思ったが、そんなことは百も承知で

藁をもすがる心境の友人に、冷静さが微塵も見てとれず、

それだけ真剣なのだということは、何とか伝わって来た。


さりとて40男の再婚話のアシストなど、

俺に出来よう筈も無く、2人して長めの沈黙の後、

「きみを守りたい、その為に生まれてきた。」

そんな風な言葉を、彼が唐突に言い放った。


既に彼の中では、シナリオが出来上がっていて、

相談では無く決意表明だったのだと理解した。

はたして、あの言葉が届いたのかどうか!?

定かでは無いが、彼らは現在も夫婦である。

 

2016年11月28日 (月)

九州場所

2016年大相撲納めの九州場所。

幕内最高優勝は、横綱鶴竜力三郎で幕を閉じた。


いろいろあっての今、、、大相撲人気は回復した。

いち大相撲ファンとしては、喜ばしい限りだが、

日本大相撲協会並びに関係各位に、

一つだけ注文というかお願いがある、それは、、、

東北・北海道場所を早期に実現して欲しいということ。


素人のざれ言と聞き流して頂きたいのだが、

北海道や青森出身の力士が沢山いた時代、

大相撲は今以上に盛り上がっていたように思う。

強い横綱に食い下がる大関陣、虎視眈々と上位陣を

脅かす気概に溢れる関脇・小結陣、、、活況を呈していた。


その時代を背負っていた力士のイメージには、

持って生まれた素質を、寒さに耐えて花開かせた、

北国出身力士の底力、、、ハングリー精神を、

つい重ねてしまうのだ。

現在の大相撲を牽引してくれるモンゴル人力士にも、

その根っこにはやはり、
ハングリー精神がある。

それに、大相撲本場所興業の迫力は何より、

東北・北海道を益々元気にしてくれるのではないか。

そうすることで、次世代を担う有望力士の出現に

寄与できるのではないか、、、そんなことを思う。

 

お叱りを覚悟で云わせて頂けば、

どうしても東北・北海道場所開催に際し、

何とも譲れない事情があるのであれば、

九州場所との隔年開催でもと思うほど。



一年納めの九州場所の地、福岡より願いを込めて。

2016年11月25日 (金)

親父と戦争と。

親父には、10個以上歳の離れた姉がいた。

そのお姉さんは鉄道マンの男性と結婚。

その後満州に渡り、子供もそこで授かったらしい。

終戦間近、ロシア軍の侵攻で姉家族の行方は分からず、

親父が残留孤児のテレビ放送を食い入るように

見ていた訳を知るのは、ずっと後のことになる。


溜め撮りの映画
でも見ようと、レコーダーを探り

見つけだした『永遠の0』ノーカット盤を見ながら、

何故だか思い出した親父の話。

2016年11月16日 (水)

つながり

たぶんブログには載せて無いと思うから、

先日の俺のバックショットにちなんで、

これも貼っておくことにした、この写真。


お気に入りのお散歩コースを、

まだまだ元気に闊歩していたなぁ、、、親父。

 

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2016年11月14日 (月)

前へ

誰が撮ってくれたのか分からない写真がある。

たぶん二十歳代前半の頃の俺。

仕事とお客様のことを覚えることで

いっぱい一杯のころ、、、駆け出しの頃の写真。


家族も親族も、誰にも覚えが無いという写真は、

まだまだ頼りないけど、前を向いてる後ろ姿。

仕事での写真はこれだけ。

古い以前の店内が懐かしくて、

ここに貼ることにした。

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2016年11月 2日 (水)

以前には、、、

この時期、家電屋さんは合同展示会なる催しをやる。

個々のお店ではどうしても展示品に限りがあるから、

メーカー販売会社とのタイアップで、数店の家電屋さんが

共同で会場を借りて、お客さんを招待しての販売会を催す。


昔は参加していた。多い時は年に4回も。

この催しに賭けていたくらいで、売り上げの柱だった。


今はもう昔のこと。

当時の忙しさを、懐かしく思うことも無くは無いが、

いつしか慢心を招き、売り上げも落ち、

その繰り返しがマンネリ化となった過去の苦さを

同時に思い出すのも、些か辛い。


ただ、この時期の風物詩として、日頃はライバルである

同業者との共同作業に、汗を流した記憶だけは残しておこう。

それは、親父と二人三脚でやっていた証にもなることだから。

2016年10月24日 (月)

ムシの虫

むかし、甥っ子が虫を見つけた時に発していた言葉が、

『ムシの虫』だったけど、虫への嫌悪感と触れないこと

への情けなさから連呼していたようにも思える。


秋の虫は軽やかで涼やかな音色の声で鳴くからか、

俺の中ではまさしく虫の中の虫、、、ムシの虫なのだ。


蝉やクワガタ、トンボやクモやカマキリなどの

容姿や鳴き声に癖のある派手な虫では無く、

スズムシやクツワムシ、マツムシやコオロギなどの、

何となく地味だけど風流な感じのする、ムシの虫。

因みに、クモは虫だけど昆虫では無いとのこと、、、

クモを含む節足動物のことを虫と読んでいるのだが、

昆虫は、羽根が4枚、体は3分割、脚は6本という特徴

があるから、羽根が無く体は2分割で、脚が8本のクモは、

昆虫では無いということになる、、、理屈だ!


今年もそろそろ秋の本番、、、ところが今年は冬が早いらしい。

秋のムシの虫は、、、秋を無視の虫になる?

 

 

2016年10月21日 (金)

何もしない日。

何が何だか訳の分からないような日々を送っていた30歳代のころ、

毎日仕事があるのは当たり前、仕事は向こうの方からやって来る!

だから休日でも無い日に、終日仕事をしないのは怠け者。

そんな強迫観念に駆られていた当時の俺。


もちろん俺は猛烈人間では無いし、情熱的な部類でも無い。

絵に描いたような凡人の俺が、当時はどんな人間を装っていたのか?


それでも今は、ゆるゆるを潔しとしている。

何も無ければ、しなくてもいい、、、今はそれで行く。

それで、生きて行けるのなら。

 

2016年9月20日 (火)

懐古

探し物をしていたら、懐かしい写真が現れた。

40歳代の両親、、、そして、4~5歳の俺・妹。


毎日忙しく朝から晩まで走り回って、
頑張っていた頃の親父。

それを支え家事万端、、、店番まで内助の功を尽くすお袋。


家電製品を武器に、高度成長期を駆け抜けて行く両親の姿。

そんな明るくて元気な、若い家族の肖像をみた想いがした。

    両親と俺・妹                 

Img_1764 

2016年9月 4日 (日)

台風の夜は。

幼いころ、、、台風は夜襲って来た。

そう思うのには、訳がある。


台風銀座などと呼ばれていたころ、

九州には年に数個、来襲していた。

もちろん、昼間に来ることもあったはず。

されど、夜の台風は恐怖を助長するもの。

幼い子供の脳裏に焼き付くのも、分かる。


ただ、いま一つの思い出もある。

それは、、、

台風一過の、すがすがしい朝の光景。

この相反する2つの思いが、

禍福の糾える縄を連想させ、

今の俺の源泉、、、起点のような、

そんな気がする。

2016年8月23日 (火)

一冊の本

少し離れた場所にある、大きなホームセンターに

用事で寄ってみるとそこには、、、一冊の本が。


アウトレット商品の脇に位置する中古本のブース。

そのまた端の辞書・専門書コーナーに鎮座していた、

世界の国旗をテーマにした事典が、、、その本。 


オリンピックで盛り上がったことも手伝って、

国や国旗にまつわることに

惹かれるタイミングだった?

それとも単に、

値段が定価の半額だったからなのか?

意を決するまでもなく、手に取りレジへ。


シートン動物記やファーブル昆虫記に、

目を凝らしていた小学生時代の図書館を、

何故だか思い出していた。

2016年8月20日 (土)

あだ名

そう云えば、幼いころからあだ名で呼ばれた感覚がない。

下の名前に「ちゃん」や「くん」を付けるか、

上の名前に「くん」や「さん」で呼ばれていた。

目立った振る舞いや容姿に特徴の無い、

至ってノーマルな性格も関わっている。


それに、呼び捨てで呼び合えるほど人との距離感が掴めず、

どこかよそよそしいから、あだ名で呼ばれる筈など無い。


人見知りの性格が人を遠ざけた、、、寂しくも残念なこと。

2016年7月24日 (日)

ギター

中学生の頃、同級生にギターの旨い奴がいた。

バンドを組むと今度は、渋くベースを弾き出した。

もちろんカッコいいが、それより嫉妬心が勝っていた。


一念発起、、、従兄から古いギターを頂戴し、

初心者向けの指南書を頼りに独学を始めた。

当然ではあるが、一向に上達しない腕前に、

1週間ほどで根を上げてしまう始末は、

今に続く根気の無さ、、、不甲斐ない。


それ以来、ギターどころか楽器には一切手を出さない。

よく云えば得手不得手の見切りがいい、、、

でもその実は、単なる根性無し。

そもそも、誰かに教えを乞うという謙虚さは無かった。

単にギターだけのことでは無い。

そういった我流のみに頼る思慮の浅さが積み重なり、

今の俺がある、、、残念至極!


朝からネガティブシンキング、、、ご容赦あれ!

こういった消極的なことを、つらつら書く輩は、

自分自身で卑下するのはいいが、人にされるを嫌う。

自意識過剰な、ナルシストだとのご指摘を頂戴した、

そんな痛い経験がある。


インターネットの創世記、、、
もう20年ほど前になる。

少しハシャギ過ぎて叩かれた、ギターにまつわるエトセトラ。

2016年7月19日 (火)

今は昔。

以前はこの時期、まさに書き入れ時と呼ぶに相応しい活況を呈していた。

朝から晩までエアコン関連の仕事に追われ、合間で修理や配達もやった。

家電屋さんが、師走と並んで目まぐるしく行き交う繁忙期なのであった。


今は昔、、、今に思えばあの頃、些か天狗になっていたような気もする。

そして今、、、何かに囚われて意固地になり、身動きが取れなくなった。

雲の巣にかかった蝶、、、蟻地獄に落ちたアリ。



豪雨と雨漏りの梅雨も明け、痛いほどに肌を刺す、真夏の朝をむかえた。

いろいろあるがこれも、今に至る導きなのだと思うようにした。

何となくでも生きて行けている、有り難い時期なのだと腑に落とす。

そこから今日が、、、始まるのだから。

2016年6月12日 (日)

馬糞紙

昔、お袋が毎年節分の鬼の面を作ってくれた。

その材料は馬糞紙、、、馬の糞の色に似た紙。

昭和40年代までは、小学校で工作用に使われていた。

実は西洋紙の話をしていた折に、口をついて出たのが

馬糞紙だった。


上質紙から何番目の下級紙になるのかはわからないし、

今ではもう、ほとんど知られることのない紙なのだが、

それでも間違いなく鬼の御面は、それで作られた。


忘れ去られる物は数多ある。しかしてその一つ一つには、

淡い想い出と共に、人や場所への郷愁を思い起こさせる、



そんなノスタルジアはたぶん、誰にでもある、今昔物語。

2016年6月 8日 (水)

月命日 2016年 水無月

昨日のお上人様は、午後2時半から約4時間のご滞在。

お話があまりにも衝撃的で、絵空事のように

思われかねないので、割愛させて頂くことに。

なので、、、今までどうしても書けなかったことを綴る。


昨日は、3年が経過し4年目に入る親父の祥月命日にあたる。

3年前の6月5日、親父は自宅近所の小規模病院に転院した。

すでに半身不随で身動きが取れない状態での長期入院は、

地域の中核総合病院にそぐわない患者であったことは明白だった。

国の自宅介護を推奨する現状も、そのアシスタントとなったろう。

今ではごく普通の流れ作業だけど、当事者には違和感満載のまま、

転院は粛々と静かに見送られることもなく遂行された、仕方なく。


病院同士の申し送りがどうなっていたのか?知る由もなく居ると、

受け入れ側の病院が、何やら慌ただしい動きを見せ始めた。

どうやら、思いのほか病状の重い親父の様子に戸惑いを隠せずに、

すぐさま検査をするという、、、前の病院で転院前に済ませている

にも拘わらず、疲れて喋ることさえ儘ならぬ親父が居ると云うのに。


入れられた集中治療室らしき部屋には、先客が数人おられた。

どの方も重症なのだが、中でも親父は重篤に見受けられた。

あてがわれた流動食も、なかなか喉を通らず、厳しい状況を感じた。

「転院は失策か!」俺の中で後悔と焦燥感がない交ぜで襲ってきた。


実はこの転院してきた病院で約40年前、母親を亡くした親父だった。

何があったかは知らないがそれ以来、この病院の名前すら嫌がった。

そんな病院と知りつつ俺は、他に受け入れ病院が見当たらないと云う、

中核病院の情報を鵜呑みにして、親父を説得し転院をしてしまった。

親父の一言、、、「もうよかたい、勝手にせんね。」

それが、親父が残してくれた、聞き取ることの出来た最期の言葉。



終わり無き 懺悔の儀式 月命日

2016年5月31日 (火)

人見知り

元来、俺の気質は人見知りだから、初見のお客様は苦手なのだが、

そんなことも言ってられないご時世なれば、何だかんだでやって来た。


それと云うのも20数年前までは、近年最寄り品化している掃除機や

電子レンジ・炊飯器などの家電品は、比較検討し価格交渉もありで

我々零細商店でも、比較的お買い上げ頂く事の多い家電品であった。

それ故、話すことを避けては通れない状況があったから慣らされた。


それもこれも、みな親父の功績があったればこそ。

地位や名誉やお金とは、ほぼ無縁の親父だったが、

お客様には、、、人には恵まれた、だから今の俺がある。


野球で云えば、『守って勝つ』、、最少得点を守り切る。

されど、知った積りでも見えぬもので、分かって無かった。

攻めを忘れた防御では、決して勝てはしないことを。

今の体たらくはすべて、俺のおごりと怠慢のなせる業。

遅きに失した感はあるが、、、まだ負ける訳にはいかない、

人見知りでも己に勝てる、、、遅咲きの花でも咲かせねば!


ここまで、、、ロートルの主張!

 

2016年5月19日 (木)

かつての、投稿手記。

今から6年ほど前、ある新聞社に投稿した手記が出てきた。

内容は、カレンダーにまつわる商売人の思いを吐露したもの。

まぁ電器屋だけど、商売人と思ってはいないのだが・・・


  日々の生活において脇役的存在のカレンダーが、

 最も脚光を浴びる瞬間を、皆さんはご存知だろうか?

 それは「予期せぬタイミングで、ちょうどこの時期に

 頂きものとして手渡された瞬間」だと、私は思うのです。


  小さな電器店を父親と営んで28年、毎年この時期には

 お得意様のお宅を一軒一軒回っては、筒状に手巻きされた

 カレンダーをお渡しします。

  
  私の幼少期、「カレンダーは、買うものでは無く戴くもの」

 のような存在だった記憶しているのです。しかも、当然のように

 向こうからやって来てくれるもの。そして、一年の始まりを

 新鮮に彩ってくれる贈り物として。


  今年もまた、そんな季節が到来しました。新しい年もまた、

 お客様宅のどこかで粛々と日々を刻んで行く。

  一つ、また一つカレンダー手配りの日々が続きます。



便箋に書いた手記を封筒に入れたまま、、、それが、

ここにあるということは ・・・???。

 

 


 

2016年5月18日 (水)

領収書

ずいぶん昔の領収書が出てきた、、、それも本棚から。

お袋に尋ねるも、覚えが無いという。

日付は、昭和59年5月9日。商品は、かまぼこ。

なんだろう、、、かまぼこに¥9,660って?


『そうだ!日記だ』

思い立ち探すも、当時は日記では無く営業日誌。

走り書きで、思いを羅列していた日もあったようだが、

どう云う訳か、5月9日(水)の記述がまったく無い。

祝日でも無いのに?しかも暫く無い、一週間ほど。


この領収書、、、先日届いた奇妙な手紙の差出人に関係がある。

その方はかつて、この辺では有名なかまぼこ職人さんだった。

親父とは付かず離れずの腐れ縁だったから、何か訳が有りそうな?

まぁ、どうでもいいようなことだし、きっと大したことでも無い!

でも、、、何処かに小骨でも引っかかっているようなこの違和感?

奇妙な手紙の主に会い、この領収書の経緯を訊けとの思し召しか?

 

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2016年4月 9日 (土)

桃源郷

   上得意のお客様宅。

 ご病気で寝込まれることも多いとお聞きしていたので、

久々のご所望に浮つく心地もあっての訪問であった。

 玄関先での挨拶もそこそこに、居間に通される。

旦那さんの元気な笑顔が飛び込んで来たら、

傍らに奥さんが腰を下ろされ、商談が始まるのだが・・・

何やら違和感を感じつつ、話は続いて行く。

 どのくらいの時が経ち、何をどう話したのかも知れぬまま、

唐突に食事をする羽目になっていることに驚いた。

旦那さんの笑顔は、更に増してゆくのが分かるのだが、

先ほど感じた違和感は、どうやらこの辺にあるような気がする。



 ・・・少し長くなったので、続きは後ほど。

2016年4月 2日 (土)

祖母のカレーライス

最近、隔週日曜日はカレーライスを作るのだが、

市販のカレールーを使うから、それなりに美味しく出来る。


祖母のカレーライスは、今で云うスープカレー。

当時のことだから、今のような美味しいルーは無く、

カレー粉に小麦粉を混ぜ、それでとろみを付けていた。


母の話では、祖母は料理の味見をしない人だったから、

材料と味付けの度合いや、水分量などの人数配分が怪しく、

鍋料理や味噌汁、、、そしてカレーライスは個性的だった!?

 

味を思い出せはしないが、そんなスープカレーを囲んで、

兄弟3人して食べた記憶が薄まることは無い。

 

Images0ocor5z3               ~カレーライス Google 画像 参照~


そんなカレーのある風景が、40余年を遡る。

其処にあったであろう、昭和な風情は今もなお、

俺のこころの拠り所、今を生きる要なのだ。

 

2016年3月31日 (木)

3月31日

親父が電気屋さんの店舗を構えて3年後に、

メーカー系列の店として登録された日。

それが今から52年前の今日、3月31日。


半世紀を越えた、時間の経過には思うところもあるが、

それ以上でも以下でも無い心境が、今の俺の思い。



それでも、当時の親父にしてみれば、
金看板を

掲げたほどの心持ちだったのかもしれない。

何故ならば、事あるごとに我がため、人がためにと

販売会社の担当者に苦言を呈し、人目も憚らぬ

その所業はたぶん、販売店の処遇改善へと

向けられたものだった、、、少なくとも今では、

そう思えるようになった。

それほどまでに自らを奮い立たせる金看板、、、

それが、東芝ストアーの登録証だった。



今はもう、遠い遠いむかしのおとぎ話である。

 

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2016年3月15日 (火)

学びの時

電気・電子製品の安全試験と認証などを行う試験所が、

我が町に開設されるらしい新聞記事をみた。

部品の性能試験や環境測定器の校正・検査、

企業の環境活動や温室効果ガス削減のサポートなどが

主な業務内容らしい。


試験とか検査・検証などの文言には、何故か

懐かしさを感じてしまう。

そういえば・・・専門学校の卒業研究が確か、、、

『アモルファス磁性体の弾性表面波・・・』

題目は記憶を外れたが、素材研究やデータ収集などの

地味な実験と検証の繰り返しだった記憶が甦る。

果たして成果の得られるような実験が出来ているのか?

検証の繰り返しは、思う結論を導き出す方向にあるのか?

試行錯誤の先に、辿りつける未来があるのか?


そんな暗中模索の日々が
今に思えば、

なんと恵まれた時間だったのかを、

今頃にして、ひしひしと感じる。



両親には、苦しい家計をやり繰りして2年間も学ばせてもらった。

感謝、、、ただ、感謝に尽きる。

 

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