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2018年8月 7日 (火)

第100回全国高等学校野球選手権記念大会!

高校野球との出会いを覚えてはいないが、

いつの間にかその存在は大きなものになっていた。

たぶん、それを色濃く脳裏に焼き付けた存在は、

江川卓投手(作新学院高校)。


憧れと云うよりは、畏れに近い感覚があった。

9人でやる野球を、1人でやろうとする男として。

きっとそのようにすり込まれたのだろうが、

この人ならやりかねないと思ったのも確か!


硬式野球をやったことは無い。

草野球で目立った事も無い、

男の子の登竜門的なスポーツだったから、

何となく寄り添っていたのかもしれない。

でも、江川卓を以ってしても、、、

野球は1人では出来ないスポーツ。

チームのバックアップがあってこそ!

そんなことも、野球の醍醐味だろう。


高校野球選手権大会が100回目
を迎えた。

記念であり、通過点である大会に、

普段の球児が集い戦う刹那を見守りたい。

 

2018年7月15日 (日)

トラバント

旧東ドイツが製造していた小型乗用車のことで、

「トラビ」の名称で市民に愛用されていたのが、

大衆車トラバント。


西ドイツ車に数十年は遅れていたトラビを、

テレビで見たのは、ベルリンの壁が崩壊し、

東西ドイツが統一を果たしたその時だった。


お世辞にもお洒落では無い風貌と、

紙で出来ている様な華奢な車体が、

当時の情勢を如実に物語っていた。


あれから30年が過ぎ去ろうとしている。

トラバントの今は、、、

いったいどうなっているのだろう?

Photo
        ~トラバント Google画像 参照~

 

2018年7月 4日 (水)

爪切り

Kimg0299
これは、親父が入院していたときに

使っていた電動ネイルケアセット。

何処かに仕舞い込んでいたんだが、

ひょんなところから出て来た。

あんなに探しても見つからず、

お袋には間に合わなかったのに。



人の爪を切ると云う行為は、

気を遣う厄介な作業でもある。

深爪や切傷のリスクを回避するべく、

浅くカットして、仕上げに削るのだ!


などといっても、、、

削るのは、もっぱら妹に任せっきり。

器用だから、親父も安心して委ねてた。


親父の足の爪は、猛禽類に近かったから、

切るのも削るのも大変そうだったけど、

お袋の場合は、普通の爪切りとやすりで

何とか出来ていたのだろう。


お風呂に入れなかったお袋に、

せめて足湯の真似ごとでもと、

お湯で硬く絞ったタオルで

足を拭い温め、少しふやけた爪を、

妹と看護師さんとが談笑しながら、

せっせと切り削っていた情景が、

微笑ましく思い出された。

2018年6月27日 (水)

ジュラルミン

その名の付いた工具箱を目にしたのは、

きっと小学生の頃、、、もっと下だったか?


ジュラルミンケースに入っていたのは、

たぶんニッパやドライバーなどの

普段よく目にしていた工具たち。

そのケースを携え修理に出向く、

親父に付いて行った記憶がある。


ジュラルミンと聞くだけで思い出す、

ラジオ・テレビ修繕屋さんの親父を。

壊れたテレビが直った時の驚き!

あれが記憶に刻まれたから、

今の俺があるのかな?

どうだかなぁ~。

 

2018年5月23日 (水)

友達

今頃どうしてだろう?

小中学生時代の同級生の夢を見た。


彼は秀才と云うより、天才肌。

何でもやってみてから判断するタイプ。

引っ込み思案な俺を、グイグイ引っ張ってくれた。


彼は中一の冬だったか?
唐突に転校していった。

文通は数十通交わしたが、次第に疎遠となった。


そんな彼が大学生最後の夏休みに、

一度だけ俺を訪ねて来てくれた。

すでに社会人?となっていた俺は、

愚かにも目線を上から見下ろした。

最初は小学生の頃のように、

屈託のない笑顔を見せてくれていた彼も、

気負いに任せてはしゃぐ様な俺の言動に、

仕舞いには曇りガラスのような表情に。

次の目的地まで送る車中は会話も無く、

お通夜の様だったと記憶している。


当時の俺は、海の物とも山の物ともつかぬ、

ただ温い状態のまま悶々と日々を送っていた。

其処へ彗星の如く現れた、輝くばかりの旧友に、

  (かつて無口で友達付き合いが苦手な俺を、

   みんなの前に引き出してくれたその親友に)

恩をあだで返すような仕打をしてしまった。


それから三十数年の月日が流れ、、、

まったく忘れていたその旧友のことを、

どうして今頃、それも夢で見たのか?

夢だから、、、

何の脈絡もなく見たのだろうが・・・


もちろん思い出すのは、、、

小中学生の頃の、屈託のない彼の顔。

ノスタルジアを感じに来た彼に、

後悔をさせたであろう俺の態度。

ほんとうに、、、ごめんなさい。

 

2018年4月24日 (火)

こんな日は、

朝からシトシト雨が降る。

こんな日は教室の窓から、

そぼ降る雨を眺めている、

小学生時代のことを思い出す。


窓の外には校庭が広がり、

その向こうには、山が連なる。

小さな麓の小学校を思い出す。


いろんなことがあったろうに、

雨の日の教室の窓の情景が広がる。

こんな日には、決まってそうなる。


遠い日の、、、ノスタルジア。

 

2018年4月19日 (木)

文集

久々に押し入れの整理をしていたら、

小学生時代の作文や読書感想文など、

拙い言葉を綴った文集が見つかった。

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まさにこれが俺の原点!

2018年4月 7日 (土)

古い日記

古い日記には、当時の葛藤が刻まれていた。


昭和56年春、、、俺は修行の地(滋賀・大津)に居た。

其処を経て、福岡・博多での研修も予定していたが、

店が繁忙期に入り、親父が怪我に見舞われた事もあり、

夏には戻って現場で汗を流した。


エアコンの実践講座を受講していたことが当たって、

どうやらいい気になっていた俺は、

その後の試練に、挫折寸前までに追い込まれて行く。


そんな頃に綴った嘆き節とも弱音ともとれる言葉が、

大学ノートに殴り書きで綴られていた。


内容はともかく、、、

感情の起伏が激しくてとげとげしくて、

弱い弱いを連発し、そのすべてを、

自分に向けているのが悲しくて。



37年の時を経てもなお、

同じような俺が其処に佇んで、

書棚の隅に眠っていた、

一冊の大学ノートを見ていた。



 

2018年4月 3日 (火)

お菓子屋さん

親父が電気屋さんを始めたころに、

お世話になったのが、老舗のお菓子屋さんだった。


そのお菓子屋さんには、いろんな方々が

入れ替わりで出入りするような、

活気に満ちた社交場のようだったと、

親父が言っていたのを思い出す。


もちろん、そればかりでは無いのだが、

そこで知り合った方々との繋がりが、

その後の、親父の電気屋さん人生を左右した。

俺の名付け親が、そのお菓子屋さんの

ご主人だったくらいだから。


話は変わって、、、

母方の伯母は、菓子職人さんだった。

当時、カステラを専門に作っていた、

女性の職人さんは少なかったそうで、

今でも稀有な存在だという話だ。


伯母は甘いものが大好物、、、

まさに、” 好きこそものの上手なれ ”



当店の全盛期、

お菓子にまつわるお得意様や親戚知人は

分かってるだけでも十数名様。


うちの店は、お菓子に支えられていたんだな!

2018年3月22日 (木)

2017年3月21日

その日はちょうど、、、

三七日法要の日だった。


天候は、小雨降る肌寒さ。

いろんな整理も儘ならず、

心もまだまだ混沌の中。

 


日記帳の中の俺は、

30数年を一気に駆け下って、

不安に苛まれた若造に憑依されていた。


二十歳そこそこの、

先行き不安で頼りない様を露呈させて。

でも、、、

正直なその時の俺が、其処には居た気がする。

吐き出すことで、何かを取り込もうと、

必死にもがいていたようにも思える。


あれから、、、

もう一年、まだ一年。


そして、、、その日は。

祖母の祥月命日法要の日でもあった。

 

 

2018年2月12日 (月)

私をスキーに連れてって!

バブル景気が終焉を迎えたころ、

小さな田舎町の寂れた深夜映画館で観たのが、

『私をスキーに連れてって』。

今に思えば、、、

バブル時代を象徴するような邦画であった。


浮かれた恋愛物の映画に興味などは無いと、

蔑んだように突き放してはいたのだが、

その日はどう云う訳だが、

そちらに誘われてしまって・・・


その後は、、、

『彼女が水着にきがえたら』『波の数だけ抱きしめて』

三部作をすべて鑑賞し、更に遡って・・・

『天国に一番近い島』や『Wの悲劇』などの、

角川映画にもはまってしまった時期があった。


つまりは、、、

ミーハーであり、脈絡のない人間だということ。

そうやって、五十数年間生きて来たってこと!

まぁ、、、

ミーハーなんて言葉も使わないか (>_<)

しかも、若い女子に使う言葉だし (^^;

 


YouTube: 私をスキーに連れてって(バーン)

2018年1月26日 (金)

バッティングセンター

30年以上前のこと。

いつものウォーキング公園までの道中にそれはあった。


野球も好きだったけど、

単に、バットにボールをぶつけること、

それが好きだった!


すべて初速110km/時のストレートと分かっていても、

バットに当たるのは、30球中5~6個の微妙な数。

ところが、、、

右利きなのに左のバッターボックスでスイングすると、

不思議に来る球の半分くらいはバットに当たる!

しかも、思いのほか飛んで行く。

そういえば、左打席でホームランも3度出た!


” 発想を変えると、上手く行くこともある ”

今はコンビニにかわってしまった、

バッティングセンターでのお話。

 

2018年1月19日 (金)

昨年の今日

思い出と云うには早い気はするが・・・


お袋の定期通院日だった昨年の今日1月19日は、

青天の霹靂に打ちのめされた日だった。


いまだに読み返せないでいた日記やブログ記事に、

” そろそろ目を向けてみるか ”と思った、、、今日。

ここから40日間の葛藤の日々が続いた。

ゆっくりと噛みしめながら、読み進もうと思う。

2018年1月 5日 (金)

箱根駅伝 

いつの頃からか、我が家のお正月といえば、

箱根駅伝のテレビ観戦が恒例行事となっていた。

正式には『東京箱根間往復大学駅伝競走』というこの大会は、

関東学生陸上競技連盟が主催し読売新聞社が共催する、

今年で94回目を迎える駅伝競走の大会である。


何と云ってもこの駅伝に惹かれるポイントは、

親子3人して異口同音に、、、『5区箱根の山登り』だった。

多少コースは変更されたが、小田原の中継所から

箱根湯本の駅、函嶺洞門をくぐり抜けて大平台から小涌園。

コース最高地点芦之湯を経て、ゴールの芦ノ湖駐車場まで!

一度でいいから家族して、小涌園や芦之湯で応援したいと、

口癖のように云っていた、、、俺が!


結局、その望みは叶わなかったが、

今となれば、何処でも好かったのかな?

3人で居れたのなら、其処が応援席になるのだから。

 

2017年12月28日 (木)

愚直な頃

国際技能競技大会(通称「技能オリンピック国際大会」)というのがある。

2年に一度開催され、今年10月にUAEのアブダビで開かれた大会では、

中国が金メダル獲得数15個で、初めて世界一に輝いた。

2位はスイス(11個)、3位が韓国(8個)、、、日本は3個で9位だった。

この大会の参加規程によると、開催年に満22歳以下(一部競技を除いて)

の者でなければならないらしい。意外と若い人材の大会なのだ。


ものづくり技術立国の我が日本に於いて今、

その屋台骨が音を立てて崩れようとしているという。

日本人の技術・技巧の確かさと勤勉さが損なわれていると。

ただ、、、

叩き上げの熟練工や匠の技が、消えて無くなった訳では無い。

引き継ぐべき若者への伝承が、損なわれつつあるのである。



国を何によって建てるかは、様々な意見があろうと思う。

だけど俺は思う、、、

この国はきっと、大いなる匠の技によって培われて来た国だと。

その技は、どんな困難が立ちはだかろうとも受け継がれて来た。

その昔より、繋がれて来たものづくりの精神を、

これしきのことで途絶えさせていい訳がない。


諦めるな、、、伝承の技を。

思い出せ、、、愚直な頃を。

立ち直れ、、、にっぽん!。

2017年12月26日 (火)

助っ人。

電器屋家業に於いて手ごわいのは、

冷蔵庫や洗濯機など、重量のある家電品の納品作業。

それと、エアコンやアンテナなどの工事作業。

床下や天井裏などの電気配線工事も厄介だ!


親父が活躍していた時代、

よく学生さんのアルバイターが

加勢に来てくれていた。

ご近所さんやお客さんのご子息だったのかな?


今も、いろいろ助っ人を頼んでいる。

助けられてばかりの人生なのだと、いまさら分かる。


そう云う意味では、、、

俺も両親の助っ人だったのかもしれないな。

 

2017年12月24日 (日)

ポケットティッシュの縁

いつものウォーキングで使っている公園で、

親父とリハビリ散歩していた頃の想い出。


その頃は2~3組のご夫婦らしき方々と、

すれ違い様の会釈や、時に挨拶などを交わしていた。

順調にコースをこなし、あと僅かでゴールイン直前!

見覚えのあるご夫婦の、旦那さんが声を掛けて来た。


「ティッシュペーパーお持ちではありませんか?」


どうやら公衆トイレのトイレットペーパーが切れていて、

用を足せないから、ティッシュを分けて欲しいとのこと。

親父が常備していたポケットティッシュを2袋渡すと、

すぐさまトイレへと駆け込まれた。


後日、そのご夫婦の奥様から可愛らしいタオルと、

お返しのポケットティッシュを頂戴した。


そんな出来事があってからは今でも、

ティッシュを2袋、ポッケに潜ませてはいるが、

今のところ出番は無い、、、自分にも。

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2017年12月17日 (日)

その昔

あるお得意様のお話。


その方は、親父の時代からの上得意様で、

かれこれ50年余のお付き合いになる。

ご主人は大らかで、何でもご自分で成される寡黙な方。

奥様は、まさに肝っ玉母さんタイプのお優しい方。

ただ、、、

その昔に哀しい出来事があって、

家族から笑いが絶えたことがあった。それ以来、、、

ご夫婦としての道のりも、過酷なものとなる。

艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えてのいま、

更なる向上心で前を向かれる姿勢には脱帽した。


来年、お二人ともが八十路になられるご夫婦。

その日々の生活を支える家電製品。

そして、その家電品を下支えしながら、

ご夫婦に寄り添える電気店でありたい。


ちょっとカッコつけ過ぎかな (^^ゞ

2017年11月14日 (火)

包丁研ぎ機

まだ駆け出しの頃、はじめてのおつかいでは無いけれど、

顔見せと度胸試しを兼ねて、包丁研ぎ機の出張実演販売を

やったことがあった。


誰にでも簡単に包丁やハサミが研げるというふれ込みだから、

二十歳そこそこの、包丁など研いだことなどなさそうな

ど素人の俺に、切れ味の落ちた包丁がスイスイ研げたなら、

きっと売れるに違いない!、、、そんな皮算用もあった。


結果は一週間で売れたのは、たったの1台。

たぶん、50件ほど訪問したような記憶はある。


もちろん、お客様に顔を覚えて頂くのが主たる目的とはいえ、

さすがに1台だけとは情けない!


それから3ヵ月間をかけて、ほぼ全客を訪問、、、

売れた台数が確か15台ほどだった。

よくよく考えたら、突然の押し売りに近い諸行に、

よくぞお付き合い頂けたものだ (-_-;)

家電屋デビューの餞別に、お得意様の計らいだったのかな。


砥石で包丁を研ぎながら、ふと思い出した気恥ずかしい話。

 

2017年10月11日 (水)

10月10日

いつの頃までか、10月10日が体育の日だった。

この近辺の、週末日曜日が運動会だったと思う。


俺の住む地区は、小学校まで片道約2㎞足らず。

それでも校区内では、最も離れた地区に住んでいた。

因みに隣の校区の学校までは、往復でも1km足らず。


運動会は苦手だったので、しぶしぶ出掛けていた。

こんな時の学校までの道程は、頗る長く感じる。

この時期の登校時間帯は、肌寒かった記憶もある。

家から半袖半ズボンの体操着姿だったのが理由か?

途中、堪らず小走りで先を急いだ運動会の朝。

楽しみでは無かったのに、妙に高ぶっていた。

誰かと競争したり、大勢の人に見られるのが嫌、

そんな気持ちとは裏腹に、日頃目立たない小心者は、

ここぞとばかりに、妙に頑張ってみたりするもの。

失敗したり、負けて目立つのが怖いから、

逃げ口上で、、、『運動会が嫌い!』

などと云っていた俺は、実は目立ちたがり屋で

人に褒めて伸ばされたいタイプの人間なのだ!



少しばかり、徒競走に自信があって、

それで目立ちたかった俺の運動会は、

ごく平凡な記録と誰の記憶に留まることも無い、

ごくごく普通の、やっぱり苦手な運動会だった。

2017年8月24日 (木)

父方の伯母

親父は、母子家庭で育った。自分の父親の記憶は無い。

詳しいことはわからないが、親父には姉がいた。

3人いた姉のうち、2人は幼くして亡くなり、

歳の離れた長姉は、鉄道員と結婚し満州へと渡った。


姉(伯母)夫婦は満州で2人の子供を授かったという。

戦後、命がけの帰還も実らず、満州の地で果てたとの

不確かな知らせを、漫然と信じることの出来ない親父は、

ほかになす術もなく、ただ中国残量孤児のテレビ放送を、

食い入るように見ていたのを覚えている。



そして時は経ち、、、

先日テレビのニュースで、満州からの引き揚げ者の方の一人が、

戦後72年にして、満州での日本人の生きた証となる資料を

精査してもらうべく、大学の研究者に依頼をされたと聞いた。

満州での開拓民として、当時の日本人が如何にして働き、

家族を育みコミュニティーを築いて行ったのか。

そして終戦間際、、、

ロシア侵攻で、塗炭の苦しみにあい、望郷の念虚しく

亡くなっていった市民の無念を思うとき、

彼らがそこで確かに生きたその足跡を記録に残すことは、

彼の地に眠る開拓民の悲願であり、そしてそれはきっと、

引き揚げ者の方々にとっても、同じ思いであるに違いない。


俺にとっても、父方の伯母の存在は知る由も無く、

今となっては是非も無いが、専門家の精査を待てば、

満州鉄道に勤務されていた方々の生活の一部でも

垣間見ることが出来るのかもしれない。

2017年1月 9日 (月)

変わらぬ散歩コース

ふいに立ち寄った、かつてのリハビリ散歩コース。

そこは親父のお気に入りだった公園の周回コース。

ここを、平成12年の3月からコースと定め約11年半。

最初はおぼつかない足取りで、ほんの短い距離を。

慣れて来ると周回を離れ、園外の田圃あぜ道までも。


その記録をここにも書き留めておきたくなった。


平成12年 197日 平成13年 199日
 平成14年 258日

平成15年 250日 平成16年 249日 平成17年 166日

平成18年 102日 平成19年 180日 平成20年 142日

平成21年 189日 平成22年 177日 平成23年   32日 

約12年間で、2,141日通ったことになっている。


暑かったり寒かったり、早朝だったり暗くなってからだったり。

雨の中を傘差して、あるいは真っ赤な夕陽を背に浴びながら。

 

平成14年~16年は、入院しなかったから回数も多かった。

平成23年ころはもう、、、車椅子だったなぁ。

平成24年や亡くなる25年には散歩コースをただ、

眺めるだけだった、、、車窓から。

それでも、たまの気分転換にはなっていたのかな!


いろんなことを思い出させてくれる、散歩コースなのだ。

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2017年1月 6日 (金)

仕事で出向いた先は、親父の代からのお客様宅。

作業を終え、何気なく気配の無い奥様のことを尋ねると、


「亡くなった」


話しの合間に、ぼそっとおっしゃった。


それから話しは現役当時の仕事内容や、

親父との関係性、、、親父の事故、

そこからの復活にまつわる話。


奥様を亡くされた悲しみを、拭い去りたいかのように、

話は一時間を越す長時間に及び、それでも足りなさそうに

されていたが、次に行かねばならぬを承知頂き帰宅の途に。


お一人暮らしには広過ぎるお宅、、、今週末の雨が、

静けさと肌寒さ、、、そして寂しさを助長させることだろう。


それでも普段の生活は、まだまだ続く、、、

それ以上でも、以下でもなく。

2016年12月29日 (木)

偉かっちゃん!

親父の口癖でもあった言葉に、

「偉かっちゃん」

と云うのがあった!


よく、孫に言い聞かせるように放っていた言葉。

聞き様によっては、自らを鼓舞するようにも。

そう云えばお袋がよく、

「誰からも言うてもらえんけん、

 自分で言いよらすとたい、、、自分に!」

なんて云って笑っていた。


まぁお世辞でも、なかなか言っては貰えないよなぁ・・・

「あんたは、偉かねぇ~」 何て言う言葉は。



それでも、、、馴染のお客様からは、今でも・・・

「よかお父さんやったねぇ~」

そんな風に云って貰える。

やっぱり、、、偉かっちゃん?

2016年12月 8日 (木)

若気の至り

それほど家業に執着していた訳では無く

出来れば逃げ出したいが、他にあてもなく、

ただ悶々と時を無駄に費やしていたころ、

よく親父と些細な口論を繰り返した。


そんなある日、口に出してはいけないことを

俺は親父に投げつけてしまった。


両親の哀し気な顔、、、ハッとして我に返る俺。


居たたまれない沈黙がどのくらい続いたのか?

思い出すのは、親父の一言。

「どげんかなるばい、、、人生は!」

成るようになる、生かされている人生なのだから。

そんな風に聞こえたのを覚えている。


♫どうにかなるさ 人生は

  明るい歌でも歌っていくのさ Joy!! Joy!!・・・

 

 

 

2016年12月 4日 (日)

思いは、届く⁉

もうかれこれ15年ほど前のこと。

高校時代、唯一の友人であった男に呼び出された。

近くの喫茶店で待ち合わせた彼が開口一番、、、

友人「俺、再婚したい相手がおるんやけどcoldsweats01

俺 「はあぁぁぁ~~~coldsweats02

そんなもん、恋愛経験が大河の一滴ほどの俺に聞くかannoy

と、内心では思ったが、そんなことは百も承知で

藁をもすがる心境の友人に、冷静さが微塵も見てとれず、

それだけ真剣なのだということは、何とか伝わって来た。


さりとて40男の再婚話のアシストなど、

俺に出来よう筈も無く、2人して長めの沈黙の後、

「きみを守りたい、その為に生まれてきた。」

そんな風な言葉を、彼が唐突に言い放った。


既に彼の中では、シナリオが出来上がっていて、

相談では無く決意表明だったのだと理解した。

はたして、あの言葉が届いたのかどうか!?

定かでは無いが、彼らは現在も夫婦である。

 

2016年11月28日 (月)

九州場所

2016年大相撲納めの九州場所。

幕内最高優勝は、横綱鶴竜力三郎で幕を閉じた。


いろいろあっての今、、、大相撲人気は回復した。

いち大相撲ファンとしては、喜ばしい限りだが、

日本大相撲協会並びに関係各位に、

一つだけ注文というかお願いがある、それは、、、

東北・北海道場所を早期に実現して欲しいということ。


素人のざれ言と聞き流して頂きたいのだが、

北海道や青森出身の力士が沢山いた時代、

大相撲は今以上に盛り上がっていたように思う。

強い横綱に食い下がる大関陣、虎視眈々と上位陣を

脅かす気概に溢れる関脇・小結陣、、、活況を呈していた。


その時代を背負っていた力士のイメージには、

持って生まれた素質を、寒さに耐えて花開かせた、

北国出身力士の底力、、、ハングリー精神を、

つい重ねてしまうのだ。

現在の大相撲を牽引してくれるモンゴル人力士にも、

その根っこにはやはり、
ハングリー精神がある。

それに、大相撲本場所興業の迫力は何より、

東北・北海道を益々元気にしてくれるのではないか。

そうすることで、次世代を担う有望力士の出現に

寄与できるのではないか、、、そんなことを思う。

 

お叱りを覚悟で云わせて頂けば、

どうしても東北・北海道場所開催に際し、

何とも譲れない事情があるのであれば、

九州場所との隔年開催でもと思うほど。



一年納めの九州場所の地、福岡より願いを込めて。

2016年11月25日 (金)

親父と戦争と。

親父には、10個以上歳の離れた姉がいた。

そのお姉さんは鉄道マンの男性と結婚。

その後満州に渡り、子供もそこで授かったらしい。

終戦間近、ロシア軍の侵攻で姉家族の行方は分からず、

親父が残留孤児のテレビ放送を食い入るように

見ていた訳を知るのは、ずっと後のことになる。


溜め撮りの映画
でも見ようと、レコーダーを探り

見つけだした『永遠の0』ノーカット盤を見ながら、

何故だか思い出した親父の話。

2016年11月16日 (水)

つながり

たぶんブログには載せて無いと思うから、

先日の俺のバックショットにちなんで、

これも貼っておくことにした、この写真。


お気に入りのお散歩コースを、

まだまだ元気に闊歩していたなぁ、、、親父。

 

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2016年11月14日 (月)

前へ

誰が撮ってくれたのか分からない写真がある。

たぶん二十歳代前半の頃の俺。

仕事とお客様のことを覚えることで

いっぱい一杯のころ、、、駆け出しの頃の写真。


家族も親族も、誰にも覚えが無いという写真は、

まだまだ頼りないけど、前を向いてる後ろ姿。

仕事での写真はこれだけ。

古い以前の店内が懐かしくて、

ここに貼ることにした。

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