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2016年5月19日 (木)

かつての、投稿手記。

今から6年ほど前、ある新聞社に投稿した手記が出てきた。

内容は、カレンダーにまつわる商売人の思いを吐露したもの。

まぁ電器屋だけど、商売人と思ってはいないのだが・・・


  日々の生活において脇役的存在のカレンダーが、

 最も脚光を浴びる瞬間を、皆さんはご存知だろうか?

 それは「予期せぬタイミングで、ちょうどこの時期に

 頂きものとして手渡された瞬間」だと、私は思うのです。


  小さな電器店を父親と営んで28年、毎年この時期には

 お得意様のお宅を一軒一軒回っては、筒状に手巻きされた

 カレンダーをお渡しします。

  
  私の幼少期、「カレンダーは、買うものでは無く戴くもの」

 のような存在だった記憶しているのです。しかも、当然のように

 向こうからやって来てくれるもの。そして、一年の始まりを

 新鮮に彩ってくれる贈り物として。


  今年もまた、そんな季節が到来しました。新しい年もまた、

 お客様宅のどこかで粛々と日々を刻んで行く。

  一つ、また一つカレンダー手配りの日々が続きます。



便箋に書いた手記を封筒に入れたまま、、、それが、

ここにあるということは ・・・???。

 

 


 

2016年5月18日 (水)

領収書

ずいぶん昔の領収書が出てきた、、、それも本棚から。

お袋に尋ねるも、覚えが無いという。

日付は、昭和59年5月9日。商品は、かまぼこ。

なんだろう、、、かまぼこに¥9,660って?


『そうだ!日記だ』

思い立ち探すも、当時は日記では無く営業日誌。

走り書きで、思いを羅列していた日もあったようだが、

どう云う訳か、5月9日(水)の記述がまったく無い。

祝日でも無いのに?しかも暫く無い、一週間ほど。


この領収書、、、先日届いた奇妙な手紙の差出人に関係がある。

その方はかつて、この辺では有名なかまぼこ職人さんだった。

親父とは付かず離れずの腐れ縁だったから、何か訳が有りそうな?

まぁ、どうでもいいようなことだし、きっと大したことでも無い!

でも、、、何処かに小骨でも引っかかっているようなこの違和感?

奇妙な手紙の主に会い、この領収書の経緯を訊けとの思し召しか?

 

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2016年4月 9日 (土)

桃源郷

   上得意のお客様宅。

 ご病気で寝込まれることも多いとお聞きしていたので、

久々のご所望に浮つく心地もあっての訪問であった。

 玄関先での挨拶もそこそこに、居間に通される。

旦那さんの元気な笑顔が飛び込んで来たら、

傍らに奥さんが腰を下ろされ、商談が始まるのだが・・・

何やら違和感を感じつつ、話は続いて行く。

 どのくらいの時が経ち、何をどう話したのかも知れぬまま、

唐突に食事をする羽目になっていることに驚いた。

旦那さんの笑顔は、更に増してゆくのが分かるのだが、

先ほど感じた違和感は、どうやらこの辺にあるような気がする。



 ・・・少し長くなったので、続きは後ほど。

2016年4月 2日 (土)

祖母のカレーライス

最近、隔週日曜日はカレーライスを作るのだが、

市販のカレールーを使うから、それなりに美味しく出来る。


祖母のカレーライスは、今で云うスープカレー。

当時のことだから、今のような美味しいルーは無く、

カレー粉に小麦粉を混ぜ、それでとろみを付けていた。


母の話では、祖母は料理の味見をしない人だったから、

材料と味付けの度合いや、水分量などの人数配分が怪しく、

鍋料理や味噌汁、、、そしてカレーライスは個性的だった!?

 

味を思い出せはしないが、そんなスープカレーを囲んで、

兄弟3人して食べた記憶が薄まることは無い。

 

Images0ocor5z3               ~カレーライス Google 画像 参照~


そんなカレーのある風景が、40余年を遡る。

其処にあったであろう、昭和な風情は今もなお、

俺のこころの拠り所、今を生きる要なのだ。

 

2016年3月31日 (木)

3月31日

親父が電気屋さんの店舗を構えて3年後に、

メーカー系列の店として登録された日。

それが今から52年前の今日、3月31日。


半世紀を越えた、時間の経過には思うところもあるが、

それ以上でも以下でも無い心境が、今の俺の思い。



それでも、当時の親父にしてみれば、
金看板を

掲げたほどの心持ちだったのかもしれない。

何故ならば、事あるごとに我がため、人がためにと

販売会社の担当者に苦言を呈し、人目も憚らぬ

その所業はたぶん、販売店の処遇改善へと

向けられたものだった、、、少なくとも今では、

そう思えるようになった。

それほどまでに自らを奮い立たせる金看板、、、

それが、東芝ストアーの登録証だった。



今はもう、遠い遠いむかしのおとぎ話である。

 

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2016年3月15日 (火)

学びの時

電気・電子製品の安全試験と認証などを行う試験所が、

我が町に開設されるらしい新聞記事をみた。

部品の性能試験や環境測定器の校正・検査、

企業の環境活動や温室効果ガス削減のサポートなどが

主な業務内容らしい。


試験とか検査・検証などの文言には、何故か

懐かしさを感じてしまう。

そういえば・・・専門学校の卒業研究が確か、、、

『アモルファス磁性体の弾性表面波・・・』

題目は記憶を外れたが、素材研究やデータ収集などの

地味な実験と検証の繰り返しだった記憶が甦る。

果たして成果の得られるような実験が出来ているのか?

検証の繰り返しは、思う結論を導き出す方向にあるのか?

試行錯誤の先に、辿りつける未来があるのか?


そんな暗中模索の日々が
今に思えば、

なんと恵まれた時間だったのかを、

今頃にして、ひしひしと感じる。



両親には、苦しい家計をやり繰りして2年間も学ばせてもらった。

感謝、、、ただ、感謝に尽きる。

 

2016年3月13日 (日)

通学路

小学生のころの登校時、、、

いろんな遊び道具が道端に転んでいたもので、

道草するに、格好のアイテムだったのだ。


朝食の味噌汁の具材である、あさり貝の貝殻や、

木炭・練炭・コークスなどの燃え殻はよく、

まだまだ舗装の進まない、社宅の路地の

くぼみ補正にまかれていたりしたものだ。


それをめがけては、勢いよく踏みつけながら、

靴底・足裏の感触を楽しみつつ、登校していた。


数件長屋の平屋建て社宅が、300棟はあっただろうか!

路地からコンクリートで舗装された道に出ると、

通勤の車やバイクで賑わうが、危険でもある通学路。


日曜日の早朝、、、むかし昔の光景が、

朝もやの向こう側に、広がっているような気がした。

2016年3月 2日 (水)

姥捨て

朝一番、、、受話器からボリュームマックスの声が響く。

お得意様のお爺さん、、、短気元気で耳が遠い。

名前と用件を告げて返答を求める、、、しかも一方的に。

こちらも都合を返すが案の定、、、会話にならず。

仕方ないから、取り敢えず伺うことに。


インターホンに反応なし。

玄関には鍵、携帯で到着を告げるが、、、会話成立せず。

玄関前にすでに来ていることは、ご近所迷惑なほどの

結構大きな声で伝えたが、待てど暮らせど応対無し、、、

最終手段の書き置きで、いったん引き上げか?

踵を返して門扉まで来ると、そこにB4版の貼り紙が。

『御用の方は、車庫裏まで!』

なんと!いきなりの見落とし、、、俺の失態か?

いやいや、それならば電話で伝えておいてよ、、、

一方通行でもいいから!


気を取り直し裏庭へ、、、窓越しに見るのは、

今の今までお爺さんが其処に居た痕跡。

でも居ない?止むを得ない、、、書き置きか!


暫しを書き置きに費やし、玄関脇まで戻ると、

閉めたはずの門扉が全開状態になってる。

なんだ、、、ここでもすれ違い?

すかさず裏庭に戻り窓を覗くと、台所に立つ

お爺さんの後ろ姿が………。


その後は直ちに用件を済ませ、無事に帰店。

このお客様は、お一人暮らしの独居高齢世帯主。

周りも同様のお宅が散在する地域。

空家も多く、一部はショートステーなどの

通所介護施設に有効利用なされていることも。


超高齢化が加速する今を、肌で感じる瞬間がある。

もう、、、他人ごとでは済まされない現実。


姥捨て山の伝説が世に問うもの、、、

それを思いつつ、今を生きるしかない。

2016年2月26日 (金)

アニマル・ファミリー

むかし犬を飼っていたことがある。

ほかには、インコと金魚くらい。

好きだが世話が難儀なので、

今は居ない。。。


久々に思い出したことが・・・

まったく人に懐かない、俺みたいな犬だったぁ💦。

                  愛犬チロ

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    ついでに、妹の愛犬、、、今は亡きミント

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           それから、弟の愛猫???

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2016年2月11日 (木)

高校受験

インフルエンザ流行と時期を同じくして、そろそろ高校受験のシーズン。

俺にも当然そのような時期があった訳で、それなりに頑張りもした。

友の話に触発されて、受けた専門学校は敢え無く不合格。

一緒に受験した友二人は見事に合格、、、理不尽だと逆恨み。

もちろん、小心者の俺だから、そんなことはおくびにも出さず、

身ら出た錆なのだと、少し道化も交えて、ほんとうをひた隠した。


意気消沈で迎えた公立高校の受験は、
どうにか本懐を遂げて、

溜飲を下げた、、、つもりだった。


結局俺は高校卒業後に、その専門学校に編入することになる。

形は、高校受験の仇を討った気概ある行為と思いたいのだが、

不合格の呪縛を解くとか、捲土重来だとかのつもりでは無く、

当時はただ単に、、、

 ゛まだ社会人になりたくは無い、このまま働くのは、嫌だ!

  もう少し、学生気分を満喫したい”、、、

それだけだった。



今に思えば、俺にとっての初試練、、、それが高校受験。

苦い思い出と共に鈍く甦ってくる、、、拗ねた青春の陰。

2016年1月20日 (水)

SMAP

その存在を知ったのは、「夢がMORIMORI」というテレビ番組。

当時メンバーだった森且行が活躍した、スーパーキックベース

のコーナーが好きだった。

この後、SMAPは大きく飛躍することになるが、スーパーアイドル

への道は、紆余曲折いろいろあったと思う。


彼らもいい大人となり、今回大きな岐路に立った。

その先に見えているものが何であれ、

過去に例を見ないほどの年月を、第一線でスーパーアイドルとして

走り続けて来た彼らの生き方を、ただ見守り応援するより他出来ない。


SMAPの前にSMAP無し、そしてSMAPの後にSMAPは無い。

2016年1月16日 (土)

1月16日。

亡き父の、90回目の誕生日だった日、、、1月16日。

亡くして3年目、まだ過去のこと、、、では無い。

 

引き摺るのでは無く、ただ片すみにとどめておく。

悲しみは薄らいで行くが、忘れ去るものでは無い。

この日は、、、

俺にとっても、必要不可欠な日だったのだから。

2015年12月14日 (月)

おもかげ

仕事帰り、親父の散歩コースだった公園に立ち寄ってみた。

風景は変わらぬまま、其処ここに親父の面影が!

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2015年12月12日 (土)

12月12日

朝の血圧測定中のお袋が徐(おもむろ)に・・・

「今日は、イチ・ニ、イチ・ニの日やね!」そう云った。

今日は12月12日、、、だからそうなる!?


水前寺清子さんの歌、、、『365歩のマーチ』。

歌詞の中に、「one・two、one・two・・・」と、

連呼する部分がある。

イチ・ニ、イチ・ニ、、、確かに行進のリズムだ!

゛しあわせは 歩いて来ない だから 歩いて 行くんだね・・・”

歌は、そんな歌詞で始まる。

2015年11月29日 (日)

たんがく

蛙のことを「たんがく」と呼ぶ。

ほかに、「びきたん」や「わくど」とも。

昔、お袋が話してくれた民話にこのたんがくの話がある。


あるところに、年老いた母蛙とその息子蛙が住んでいた。

母蛙の遺言は、死んだ骸は川辺に埋葬するようにというものだった。

普段の息子蛙は天邪鬼な性格なので、どうせ山に埋めてと頼んでも、

きっと川辺に埋葬するだろうと考えた母蛙の、逆転の発想だった。

ところがこの息子蛙、根っからのひねくれ者とみえて、

「遺言くらいは聞かにゃならんばい」と、遺言通りに川辺に埋葬する。

それ故に、大雨で川が氾濫すると「母蛙が流される」と、

息子蛙は泣くのだというのだ。

それから天邪鬼なひねくれ者を、たんがくと呼ぶのだと。


その話を聞いた幼いころの俺は、、、

どれほど親不孝な蛙が多いのかと、雨の田んぼで思ったものだ。



ただこの息子蛙、遺言というものが厳粛な掟であることは

把握していたからこそ、そのことは頑なに守ったのだ、、、

母親の思いとは裏腹に。


故に、どんなに親しい間柄も、いや近ければ近いほど、

思いは交わし合わなければ、思うほどには伝わらない。

それは分かっているけれど・・・・・・

言葉に出来ない、、、情けなさ。


俺も相当な『たんがく』なのだ!

2015年11月19日 (木)

親父が逝った日。

2013年6月7日午前7時半を回ったころ、、、

自宅の電話に親父の危篤を告げる電話が入った。

えっ!

寝耳に水とは、このこと、、、だって、転院してまだ3日目。

今日は、要介護認定の審査が病室で執り行われる手はずの日。

昨日は悪いなりにも平静を保っていたと云うのに、どうして?


それから、どのようにして病院へ、病室へ駆けつけたのか?

記憶はまったく無い。


病室では、蘇生の為の心臓マッサージが施されている最中。

病床をぐるりとスタッフが取り囲む隙間から、

親父の胸部を押し進める動作が垣間見える。

痛々しい光景、、、入れ替わり立ち代わりの流れ作業に見えた。

病室は6人部屋で、重篤な患者さんのためにあるような場所。

容体の急変がそうさせたのだろうが、

その場での蘇生処置は、相部屋の方々にも動揺を生んだ。


それからのことは、時系列では語れないほどに記憶が定かでは無い。

主治医の話も上の空で、詳細はうろ覚え。

ただ、鮮明に目に焼き付いた光景がある。

それは、心臓マッサージを施すスタッフの輪の外、

病室入り口付近に呆然と佇む若い看護師さんの姿。

それが何なのかはわからないが、俺の目には、、、

その場にそぐわない違和感ある光景に映った。


そのことを、何故に今頃思い出したのか?

親父が何かを語りかけているのだろうか?

2015年11月17日 (火)

履歴

書棚の引き出しを何気なく整理すると、

一枚のコピー用紙に綴られた、年表形式の履歴書があった。


走り書きではあるが、簡単明瞭に俺の歴史が描かれている。

もちろん、何の変哲も無い平凡な内容でしかない。

よくも此処まで、変化や感動に乏しい人生を送って来たものだと

感心するほど、、、ただ淡々と日々をこなしていたんだろう。

これからも、大した人生では無かろうがしかし、

生かされている以上は、生きて行くしかない。


こんな年表どうでもいい、、、そう呟いてまた、

そんなコピー用紙を引き出しに戻す俺がいる。

 

 

 

2015年10月25日 (日)

ろく三郎(仮称)

そんな風な名前のラーメン店が昔あった。

仕事終わりの遅い昼食で立ち寄っていた。


国道に面していて、駐車場が広かったから、

長距離トラックのドライバーも多かった。

大盛ラーメンに稲荷寿司3個、、、定番だった。


10数年ぶりに、その国道を通ってみた。

見慣れない定食屋の看板に架け代わっていたが、

其処は紛れもなく『ろく三郎(仮称)』の店だった場所。


外食をしない親父が、俺にせっつかれて仕方なく・・・

仕事に関する買い物以外でお店に入るのを、

極端に嫌う変な親父だったが、ろく三郎では、、、


「ラーメン大盛、稲荷3個、2人前!」


大きく定番メニューをコールしていたなぁ~。

2015年10月17日 (土)

公民館

近くに公民館がある、、、隣町の。

わが地域には無いのである、、、公民館が。

理由は分からない、地域の成り立ちに

関係があるような気はしているのだが・・・


その公民館は築50年以上で、今も現役。

ただ、最近は使われているような気配が無い。

建物ばかりか、人も老朽化が進んでいて

使用者も、その目的も減っているのだろう。


昔は裏に広場があって、子供らで賑わっていた。

春には満開の桜、秋には圧巻の紅葉・・・

公民館を彩る季節の風物詩も、いまはむかし。

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2015年10月14日 (水)

希望

希望と書いて、のぞむと呼んだ友がいた。

両親の思いとは別に、彼の悩みは・・・

女の子に間違われる名前だと云うこと。


ギリシャ神話のパンドラの箱。

それを開けると、あらゆる邪悪なものが解き放たれて、

最後に残されたのが、希望だったという。

「どんな苦難にも、めげることなく雄々しく立ち向かってほしい。」

そんなご両親の願いが込められていたと、後に聞いた。


異国の日本に生まれ、どん底の生活を余儀なくされた
父親と、

それを支え続けた母親の間に生まれた経緯を知り、

いつしか名前へのコンプレックスは無くなっていったのだと。


いま彼がどこでどうしているのか?

口笛が妙に上手な彼のことを、ふと思い出した。

2015年9月28日 (月)

運動会

秋晴れの朝、肌寒さを堪えながら急ぎ足で学校へ。

はやる気持ちがそうさせるのか、テンションも高め。

もともと大勢が集まる場所は苦手だけど、

少しばかり足が回っていたので、徒競走は嫌いでは無かった。

ただ、競技や演技に参加していることより、

運営にまつわる裏方の作業で、運動場を駆けまわる方に、

妙に楽しさや嬉しさを感じていた。



 

2015年9月26日 (土)

好奇心

???を、見過ごせない思い、、、こころ。

幼児には多くあるものだと思うが、

歳を追うごとに減って行く、、、もちろん、個人差あり!


経験を得る過程で湧いて来る不思議や疑問???。

それを好奇心が素早く、解決へと導いてくれる。

その繰り返しが創造力を高め、飽くなき探求心へと繋がる。

そうやって人は、いろんなことを成し遂げてきた。

不可能と思われていたことも、可能にしてきた。


めざましい進歩を遂げ、花形へと登りつめた自動車産業。

チャレンジ・好奇心を原動力に、様々な難題を完遂して来た。

・・・そう、思っていた。

フォルクスワーゲン社の失態は、一企業の信用失墜に留まらず、

業界への信頼を揺るがし兼ねない、由々しき問題へとシフトした。


新たな好奇心を持って現れるであろう若き探求者の未来を、

このようなことで摘み取ることの無いように、

この問題への取り組みは、真摯な態度で臨んでもらいたい。

 

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            ~Google画像 参照~





 

 

2015年8月 8日 (土)

親父の足跡 ~70年前~

昭和20年3月28日、親父は大阪工業専修学校高等部電気科を卒業。

それから出征する訳だが、その辺りの詳細を聞かされた覚えが無い。

ただ、戦地に赴くことは無かったと、聞いたような・・・。



大阪生まれの大阪育ち、、、それも定かではないが、

関西訛りの九州弁を喋る親父を、異邦人のように感じたこともあった。

『戦争が無くて、あのまま大阪に居ったら学校の先生しよったなぁ!』

そう云えば、理数系には滅法強い{自称}親父が、

高校生の孫に数学を教えていた状況はまさに、

ベテラン教師の貫禄が、十分に備わっていた。


ただ、その想いを聞かされた当時の俺の思いは・・・

『ほんなら、俺や妹・弟は、おらんやったとたい、、、この世には』

そんな風にねじ曲がった、歪(いびつ)な感情では無かったにせよ、

腑に落ちないものを抱え持ってしまったのかもしれない。


いずれにせよ、過去があって今がある、、、切ない関係性でも、ある。

 

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2015年7月13日 (月)

立会演説

中学2年の2学期、、、生徒会会長の改選があった。

立候補者は2人、、、クラスメイトのM君がその一人。

俺は校内作文コンクール入選をかわれて、推薦人に任命された。

立会演説会当日、持ち前のカリスマ性を如何なく発揮した

M君の圧勝で選挙は終了。生徒会会長はM君に。

推薦人も何か発言したのだけど、まったく記憶が無い。

威風堂々たるM君の、立ち居振る舞いは覚えているんだけど。

そう云えば、小学生の時も推薦人だったなぁ💦。


根っからのサポーター、、、しんがりだから、仕方ないか。

2015年5月10日 (日)

母の日

今から半世紀ほど前のこと、

幼いころの呼び名で驚いたのが、、、ママ!

もちろん今では、定番中の定番な呼び名。


近くに出来た大手銀行の社宅に越して来た、

神戸生まれのまさしくんが、そう呼んでいた。


パパはともかく、ママは発しやすい単語だと

聞いたことがあるような気はするが・・・


おかあさんや母ちゃんなどと呼んでいた俺たちには、

何とも都会的で、ちょっぴり気恥ずかしさがあったようで、

とてもママなんて呼べなかったよ、、、おっかさんpresent

 

2015年5月 9日 (土)

学者じいちゃん

昔、あるところに、博識なお爺さんが住んでおりました。

そのお爺さんのことを、近所の人々は親しみを込めて、、、

「学者じいちゃん」と呼んでいました。


戦時中のおはなし、、、

お爺さんは、最前線の様子をいち早く味方に知らせる役目を担っていました。

或る時大事な無線機が壊れてしまい、このままではお役目に支障を来たします。

手入れを怠ったとして叱られている同僚を手助けすべく、

お爺さんは、とんでもないことを始めました。

館内用の有線放送機材を活用しようと考えたのです。

ただし、それには肝心の電線の長さが足りません。

そこでお爺さんは、同僚たちに手分けして

ありったけの電線をかき集めてもらいました。


・・・ですが、それでもまだ長さが足りません。

そこで思案したお爺さんが執った行動は、、、

電線1本が2芯で出来ていたことに思いつき、

これを剥いで1本にして繋ぎ合わせ、

そうしたものをまた繋いで、1本の長い電線をこしらえました。

これで、ずいぶん遠くまで行けるのですが・・・

機材を使い交信するには、2本の電線を使わねばならず、

1本ではどうにもなりません、するとお爺さんは・・・

五寸釘のように長い金属棒を2本用意し、それに電線のリードをつけ、

一方は基地側の親機材の電線端子につなぎ、釘は地面に勢いよく突き刺しました。

もう片方は、最前線へ持ち運ぶ子機材の端子へ繋ぎ、同様に地面へと。

そして、最前線近くまで持ち運んだ一本の長い電線を、

基地側と前線側の機材端子に、それぞれ繋ぐという荒業を見せたのです。

 

その一部始終を見守っていた上官達も、さすがに不安に思って

前のめりになりかけたその矢先、、、

前線の偵察隊兵士の発する、微かな声がスピーカーから

漏れ聞こえ出し始めた、、、まさに、奇跡!


ただ、これは奇跡でも何でもなく、当然のことでした。

大地アースの考え方のもと、大地に突き刺された釘と釘とを介して

あたかも地球が、一本の電線かのように働いてくれた。

大地が零電位であることを利用した、苦肉の策でもあったのです!


その後のお爺さんは、その働きにより2階級特進、、、

つまり、偉くなって部下にも慕われる博識兵隊さんとして

知る人ぞ知る人物となりました、、、とさ!

2015年4月22日 (水)

バビル2世

鉄人28号、、、横山光輝氏の作品。

我が少年時代のヒーローだった。

手塚治虫の鉄腕アトムと人気を二分するテレビアニメの草分け、

少なくとも俺は、そう思っている。



その横山氏が描いた作品に、バビル2世なる漫画・アニメがある。

このテレビアニメが大好きな男の子がいて、

この話をすると、時の経つのを忘れてしまった。

内容に、SFや戦隊ものの雰囲気が盛り込まれていて、

ロデム・ロプロス・ポセイドンと称する3つの僕(しもべ)

と共に、世界征服を企てる超能力者ヨミとの闘いを描く。

まぁ、女子受けはしていなかったけれども。


俺の中でのバビル2世のイメージは、、、

さる・犬・キジを従えて、鬼ヶ島に

鬼退治にでかける、桃太郎だった。


そこで、現実社会の鬼ヶ島、、、

悪の権化の巣窟を、そう呼ぶのだとすれば、

自分に足りない力を、人や物を借りてでも、

その戦いに挑まねばならないこと、、、

そんなことも、あるだろうか!?

今の世の、桃太郎やバビル2世とはいったい誰?

そもそも、鬼ヶ島は悪の巣窟なのだろうか???


子供のころ、鉄人28号やバビル2世に惹かれ焦がれていた

その思いは、今も心の片隅に残っているだろうか?

正義や悪の、本質を見抜く無垢な子供の眼力、、、

先入観や予断をもってことを判断し過ぎるおとなの世界。

少年の頃のまっすぐな思いにこそ、

の本質を見抜く力が宿るのかもしれない。

 

2015年4月19日 (日)

親父の日誌

探していたある言葉が見つかった。

親父の日誌に残されていた言葉が。


昭和24年2月18日、、、感謝の日。

その日、勤務中の事故で九死に一生を得る。


実は、その前にも命を拾った経験のある親父。

終戦間際に召集された親父は、鹿児島から

東南アジアの戦線へ送られるはずだった。

親父達が出航する少し前に出た船が、

東シナ海で撃沈され、親父を乗せる筈の船は、

出航の延期を余儀なくされた。

そなまま親父は戦地に赴くことなく、終戦を迎えたのだと。


それから4年後、、、2度目の命拾いをすることになる。

当時勤めていた会社での、作業中の事故。

6万ボルトと云う高電圧に弾き飛ばされた。

状況は、即死でも不思議では無いほど、

ただ、いろんな幸運が重なり命を救われたと。


よく、「100歳まで生きる!」

と、いっていた親父だったが、

昭和24年2月18日 感謝の日と記した日誌の日付は、

平成17年2月18日、、、享年79歳の母親の年齢に並んだ年。


これは、たまに口をついて出た言葉だったが・・・

『婆ちゃん(母親)より長う生きたら、それでよかたいね!』

享年79歳の母親より長生きすることが、

命拾いの恩返しとでも、感じていたのだろうか?

今となっては、知る由もないことだが。

2015年3月30日 (月)

祖母

父方の祖母とは同居だった。

たぶん、いろいろ面倒を掛けたのだろうが、記憶が乏しい。

叱られた覚えはあるが、褒められたことは・・・

ただ、祖母をよく知る人は異口同音に、

『御祖母ちゃんは愛想がよくて親切で面倒見がいい、

 ほんとに優しい人』、、、 概ね好評。

商売儀に疎い両親を補っていた、たぶんそう。


女で一つで親父を育て上げ、戦後の混乱期を逞しく生き抜いた、

そんな明治女の威厳があった、、、親父がそう云っていたことを思い出す。


俺にとっての祖母は、頑固で口うるさい面倒な人だったのだが、

お袋が忙しくて、食事の支度や掃除・洗濯が出来ない時の

リリーフ役として、八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍をしてくれた。

報酬としてなのか?夕食時にお銚子bottleが一本。

お姑さんに対するお袋なりの労い、、、

婆ちゃんは日本酒が好物だったconfident

・・・何故だかそのことは、よ~く覚えている。

そんな祖母も、俺が中学2年生のころ、この世を去った。

今に思えば、人の死を間近で感じた始めての経験。


遺影の祖母を眺めながら、ふと思ったこと。

2015年3月22日 (日)

出会い

昨年1月、、、53歳の若さで逝った親友との出会いは、

中学一年のクラスメートで、夏休み以降

帰宅部だったことに由来する。

帰り道が途中まで同じだったことも、仲良くなる切っ掛けに。


ひょうきんで成績優秀な彼は、漫画とプロレス、、、そして、

ハードロック、ヘビメタ系のエアロスミスやキッスを

こよなく愛する男であった。


当時人気アイドルだった、桜田淳子や山口百恵では無く、

岩崎宏美の熱烈なファンだったことに、

反体制派の匂いを感じたこともあった、、、訳分からん解釈だが?


目立ちたいのに、引っ込み思案で地味な俺とは、真逆な性格だったけど、

それがたぶん良かったんだろう、、、たぶん。

 

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