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2016年8月23日 (火)

一冊の本

少し離れた場所にある、大きなホームセンターに

用事で寄ってみるとそこには、、、一冊の本が。


アウトレット商品の脇に位置する中古本のブース。

そのまた端の辞書・専門書コーナーに鎮座していた、

世界の国旗をテーマにした事典が、、、その本。 


オリンピックで盛り上がったことも手伝って、

国や国旗にまつわることに

惹かれるタイミングだった?

それとも単に、

値段が定価の半額だったからなのか?

意を決するまでもなく、手に取りレジへ。


シートン動物記やファーブル昆虫記に、

目を凝らしていた小学生時代の図書館を、

何故だか思い出していた。

2016年8月20日 (土)

あだ名

そう云えば、幼いころからあだ名で呼ばれた感覚がない。

下の名前に「ちゃん」や「くん」を付けるか、

上の名前に「くん」や「さん」で呼ばれていた。

目立った振る舞いや容姿に特徴の無い、

至ってノーマルな性格も関わっている。


それに、呼び捨てで呼び合えるほど人との距離感が掴めず、

どこかよそよそしいから、あだ名で呼ばれる筈など無い。


人見知りの性格が人を遠ざけた、、、寂しくも残念なこと。

2016年7月24日 (日)

ギター

中学生の頃、同級生にギターの旨い奴がいた。

バンドを組むと今度は、渋くベースを弾き出した。

もちろんカッコいいが、それより嫉妬心が勝っていた。


一念発起、、、従兄から古いギターを頂戴し、

初心者向けの指南書を頼りに独学を始めた。

当然ではあるが、一向に上達しない腕前に、

1週間ほどで根を上げてしまう始末は、

今に続く根気の無さ、、、不甲斐ない。


それ以来、ギターどころか楽器には一切手を出さない。

よく云えば得手不得手の見切りがいい、、、

でもその実は、単なる根性無し。

そもそも、誰かに教えを乞うという謙虚さは無かった。

単にギターだけのことでは無い。

そういった我流のみに頼る思慮の浅さが積み重なり、

今の俺がある、、、残念至極!


朝からネガティブシンキング、、、ご容赦あれ!

こういった消極的なことを、つらつら書く輩は、

自分自身で卑下するのはいいが、人にされるを嫌う。

自意識過剰な、ナルシストだとのご指摘を頂戴した、

そんな痛い経験がある。


インターネットの創世記、、、
もう20年ほど前になる。

少しハシャギ過ぎて叩かれた、ギターにまつわるエトセトラ。

2016年7月19日 (火)

今は昔。

以前はこの時期、まさに書き入れ時と呼ぶに相応しい活況を呈していた。

朝から晩までエアコン関連の仕事に追われ、合間で修理や配達もやった。

家電屋さんが、師走と並んで目まぐるしく行き交う繁忙期なのであった。


今は昔、、、今に思えばあの頃、些か天狗になっていたような気もする。

そして今、、、何かに囚われて意固地になり、身動きが取れなくなった。

雲の巣にかかった蝶、、、蟻地獄に落ちたアリ。



豪雨と雨漏りの梅雨も明け、痛いほどに肌を刺す、真夏の朝をむかえた。

いろいろあるがこれも、今に至る導きなのだと思うようにした。

何となくでも生きて行けている、有り難い時期なのだと腑に落とす。

そこから今日が、、、始まるのだから。

2016年6月12日 (日)

馬糞紙

昔、お袋が毎年節分の鬼の面を作ってくれた。

その材料は馬糞紙、、、馬の糞の色に似た紙。

昭和40年代までは、小学校で工作用に使われていた。

実は西洋紙の話をしていた折に、口をついて出たのが

馬糞紙だった。


上質紙から何番目の下級紙になるのかはわからないし、

今ではもう、ほとんど知られることのない紙なのだが、

それでも間違いなく鬼の御面は、それで作られた。


忘れ去られる物は数多ある。しかしてその一つ一つには、

淡い想い出と共に、人や場所への郷愁を思い起こさせる、



そんなノスタルジアはたぶん、誰にでもある、今昔物語。

2016年6月 8日 (水)

月命日 2016年 水無月

昨日のお上人様は、午後2時半から約4時間のご滞在。

お話があまりにも衝撃的で、絵空事のように

思われかねないので、割愛させて頂くことに。

なので、、、今までどうしても書けなかったことを綴る。


昨日は、3年が経過し4年目に入る親父の祥月命日にあたる。

3年前の6月5日、親父は自宅近所の小規模病院に転院した。

すでに半身不随で身動きが取れない状態での長期入院は、

地域の中核総合病院にそぐわない患者であったことは明白だった。

国の自宅介護を推奨する現状も、そのアシスタントとなったろう。

今ではごく普通の流れ作業だけど、当事者には違和感満載のまま、

転院は粛々と静かに見送られることもなく遂行された、仕方なく。


病院同士の申し送りがどうなっていたのか?知る由もなく居ると、

受け入れ側の病院が、何やら慌ただしい動きを見せ始めた。

どうやら、思いのほか病状の重い親父の様子に戸惑いを隠せずに、

すぐさま検査をするという、、、前の病院で転院前に済ませている

にも拘わらず、疲れて喋ることさえ儘ならぬ親父が居ると云うのに。


入れられた集中治療室らしき部屋には、先客が数人おられた。

どの方も重症なのだが、中でも親父は重篤に見受けられた。

あてがわれた流動食も、なかなか喉を通らず、厳しい状況を感じた。

「転院は失策か!」俺の中で後悔と焦燥感がない交ぜで襲ってきた。


実はこの転院してきた病院で約40年前、母親を亡くした親父だった。

何があったかは知らないがそれ以来、この病院の名前すら嫌がった。

そんな病院と知りつつ俺は、他に受け入れ病院が見当たらないと云う、

中核病院の情報を鵜呑みにして、親父を説得し転院をしてしまった。

親父の一言、、、「もうよかたい、勝手にせんね。」

それが、親父が残してくれた、聞き取ることの出来た最期の言葉。



終わり無き 懺悔の儀式 月命日

2016年5月31日 (火)

人見知り

元来、俺の気質は人見知りだから、初見のお客様は苦手なのだが、

そんなことも言ってられないご時世なれば、何だかんだでやって来た。


それと云うのも20数年前までは、近年最寄り品化している掃除機や

電子レンジ・炊飯器などの家電品は、比較検討し価格交渉もありで

我々零細商店でも、比較的お買い上げ頂く事の多い家電品であった。

それ故、話すことを避けては通れない状況があったから慣らされた。


それもこれも、みな親父の功績があったればこそ。

地位や名誉やお金とは、ほぼ無縁の親父だったが、

お客様には、、、人には恵まれた、だから今の俺がある。


野球で云えば、『守って勝つ』、、最少得点を守り切る。

されど、知った積りでも見えぬもので、分かって無かった。

攻めを忘れた防御では、決して勝てはしないことを。

今の体たらくはすべて、俺のおごりと怠慢のなせる業。

遅きに失した感はあるが、、、まだ負ける訳にはいかない、

人見知りでも己に勝てる、、、遅咲きの花でも咲かせねば!


ここまで、、、ロートルの主張!

 

2016年5月19日 (木)

かつての、投稿手記。

今から6年ほど前、ある新聞社に投稿した手記が出てきた。

内容は、カレンダーにまつわる商売人の思いを吐露したもの。

まぁ電器屋だけど、商売人と思ってはいないのだが・・・


  日々の生活において脇役的存在のカレンダーが、

 最も脚光を浴びる瞬間を、皆さんはご存知だろうか?

 それは「予期せぬタイミングで、ちょうどこの時期に

 頂きものとして手渡された瞬間」だと、私は思うのです。


  小さな電器店を父親と営んで28年、毎年この時期には

 お得意様のお宅を一軒一軒回っては、筒状に手巻きされた

 カレンダーをお渡しします。

  
  私の幼少期、「カレンダーは、買うものでは無く戴くもの」

 のような存在だった記憶しているのです。しかも、当然のように

 向こうからやって来てくれるもの。そして、一年の始まりを

 新鮮に彩ってくれる贈り物として。


  今年もまた、そんな季節が到来しました。新しい年もまた、

 お客様宅のどこかで粛々と日々を刻んで行く。

  一つ、また一つカレンダー手配りの日々が続きます。



便箋に書いた手記を封筒に入れたまま、、、それが、

ここにあるということは ・・・???。

 

 


 

2016年5月18日 (水)

領収書

ずいぶん昔の領収書が出てきた、、、それも本棚から。

お袋に尋ねるも、覚えが無いという。

日付は、昭和59年5月9日。商品は、かまぼこ。

なんだろう、、、かまぼこに¥9,660って?


『そうだ!日記だ』

思い立ち探すも、当時は日記では無く営業日誌。

走り書きで、思いを羅列していた日もあったようだが、

どう云う訳か、5月9日(水)の記述がまったく無い。

祝日でも無いのに?しかも暫く無い、一週間ほど。


この領収書、、、先日届いた奇妙な手紙の差出人に関係がある。

その方はかつて、この辺では有名なかまぼこ職人さんだった。

親父とは付かず離れずの腐れ縁だったから、何か訳が有りそうな?

まぁ、どうでもいいようなことだし、きっと大したことでも無い!

でも、、、何処かに小骨でも引っかかっているようなこの違和感?

奇妙な手紙の主に会い、この領収書の経緯を訊けとの思し召しか?

 

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2016年4月 9日 (土)

桃源郷

   上得意のお客様宅。

 ご病気で寝込まれることも多いとお聞きしていたので、

久々のご所望に浮つく心地もあっての訪問であった。

 玄関先での挨拶もそこそこに、居間に通される。

旦那さんの元気な笑顔が飛び込んで来たら、

傍らに奥さんが腰を下ろされ、商談が始まるのだが・・・

何やら違和感を感じつつ、話は続いて行く。

 どのくらいの時が経ち、何をどう話したのかも知れぬまま、

唐突に食事をする羽目になっていることに驚いた。

旦那さんの笑顔は、更に増してゆくのが分かるのだが、

先ほど感じた違和感は、どうやらこの辺にあるような気がする。



 ・・・少し長くなったので、続きは後ほど。

2016年4月 2日 (土)

祖母のカレーライス

最近、隔週日曜日はカレーライスを作るのだが、

市販のカレールーを使うから、それなりに美味しく出来る。


祖母のカレーライスは、今で云うスープカレー。

当時のことだから、今のような美味しいルーは無く、

カレー粉に小麦粉を混ぜ、それでとろみを付けていた。


母の話では、祖母は料理の味見をしない人だったから、

材料と味付けの度合いや、水分量などの人数配分が怪しく、

鍋料理や味噌汁、、、そしてカレーライスは個性的だった!?

 

味を思い出せはしないが、そんなスープカレーを囲んで、

兄弟3人して食べた記憶が薄まることは無い。

 

Images0ocor5z3               ~カレーライス Google 画像 参照~


そんなカレーのある風景が、40余年を遡る。

其処にあったであろう、昭和な風情は今もなお、

俺のこころの拠り所、今を生きる要なのだ。

 

2016年3月31日 (木)

3月31日

親父が電気屋さんの店舗を構えて3年後に、

メーカー系列の店として登録された日。

それが今から52年前の今日、3月31日。


半世紀を越えた、時間の経過には思うところもあるが、

それ以上でも以下でも無い心境が、今の俺の思い。



それでも、当時の親父にしてみれば、
金看板を

掲げたほどの心持ちだったのかもしれない。

何故ならば、事あるごとに我がため、人がためにと

販売会社の担当者に苦言を呈し、人目も憚らぬ

その所業はたぶん、販売店の処遇改善へと

向けられたものだった、、、少なくとも今では、

そう思えるようになった。

それほどまでに自らを奮い立たせる金看板、、、

それが、東芝ストアーの登録証だった。



今はもう、遠い遠いむかしのおとぎ話である。

 

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2016年3月15日 (火)

学びの時

電気・電子製品の安全試験と認証などを行う試験所が、

我が町に開設されるらしい新聞記事をみた。

部品の性能試験や環境測定器の校正・検査、

企業の環境活動や温室効果ガス削減のサポートなどが

主な業務内容らしい。


試験とか検査・検証などの文言には、何故か

懐かしさを感じてしまう。

そういえば・・・専門学校の卒業研究が確か、、、

『アモルファス磁性体の弾性表面波・・・』

題目は記憶を外れたが、素材研究やデータ収集などの

地味な実験と検証の繰り返しだった記憶が甦る。

果たして成果の得られるような実験が出来ているのか?

検証の繰り返しは、思う結論を導き出す方向にあるのか?

試行錯誤の先に、辿りつける未来があるのか?


そんな暗中模索の日々が
今に思えば、

なんと恵まれた時間だったのかを、

今頃にして、ひしひしと感じる。



両親には、苦しい家計をやり繰りして2年間も学ばせてもらった。

感謝、、、ただ、感謝に尽きる。

 

2016年3月13日 (日)

通学路

小学生のころの登校時、、、

いろんな遊び道具が道端に転んでいたもので、

道草するに、格好のアイテムだったのだ。


朝食の味噌汁の具材である、あさり貝の貝殻や、

木炭・練炭・コークスなどの燃え殻はよく、

まだまだ舗装の進まない、社宅の路地の

くぼみ補正にまかれていたりしたものだ。


それをめがけては、勢いよく踏みつけながら、

靴底・足裏の感触を楽しみつつ、登校していた。


数件長屋の平屋建て社宅が、300棟はあっただろうか!

路地からコンクリートで舗装された道に出ると、

通勤の車やバイクで賑わうが、危険でもある通学路。


日曜日の早朝、、、むかし昔の光景が、

朝もやの向こう側に、広がっているような気がした。

2016年3月 2日 (水)

姥捨て

朝一番、、、受話器からボリュームマックスの声が響く。

お得意様のお爺さん、、、短気元気で耳が遠い。

名前と用件を告げて返答を求める、、、しかも一方的に。

こちらも都合を返すが案の定、、、会話にならず。

仕方ないから、取り敢えず伺うことに。


インターホンに反応なし。

玄関には鍵、携帯で到着を告げるが、、、会話成立せず。

玄関前にすでに来ていることは、ご近所迷惑なほどの

結構大きな声で伝えたが、待てど暮らせど応対無し、、、

最終手段の書き置きで、いったん引き上げか?

踵を返して門扉まで来ると、そこにB4版の貼り紙が。

『御用の方は、車庫裏まで!』

なんと!いきなりの見落とし、、、俺の失態か?

いやいや、それならば電話で伝えておいてよ、、、

一方通行でもいいから!


気を取り直し裏庭へ、、、窓越しに見るのは、

今の今までお爺さんが其処に居た痕跡。

でも居ない?止むを得ない、、、書き置きか!


暫しを書き置きに費やし、玄関脇まで戻ると、

閉めたはずの門扉が全開状態になってる。

なんだ、、、ここでもすれ違い?

すかさず裏庭に戻り窓を覗くと、台所に立つ

お爺さんの後ろ姿が………。


その後は直ちに用件を済ませ、無事に帰店。

このお客様は、お一人暮らしの独居高齢世帯主。

周りも同様のお宅が散在する地域。

空家も多く、一部はショートステーなどの

通所介護施設に有効利用なされていることも。


超高齢化が加速する今を、肌で感じる瞬間がある。

もう、、、他人ごとでは済まされない現実。


姥捨て山の伝説が世に問うもの、、、

それを思いつつ、今を生きるしかない。

2016年2月26日 (金)

アニマル・ファミリー

むかし犬を飼っていたことがある。

ほかには、インコと金魚くらい。

好きだが世話が難儀なので、

今は居ない。。。


久々に思い出したことが・・・

まったく人に懐かない、俺みたいな犬だったぁ💦。

                  愛犬チロ

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    ついでに、妹の愛犬、、、今は亡きミント

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           それから、弟の愛猫???

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2016年2月11日 (木)

高校受験

インフルエンザ流行と時期を同じくして、そろそろ高校受験のシーズン。

俺にも当然そのような時期があった訳で、それなりに頑張りもした。

友の話に触発されて、受けた専門学校は敢え無く不合格。

一緒に受験した友二人は見事に合格、、、理不尽だと逆恨み。

もちろん、小心者の俺だから、そんなことはおくびにも出さず、

身ら出た錆なのだと、少し道化も交えて、ほんとうをひた隠した。


意気消沈で迎えた公立高校の受験は、
どうにか本懐を遂げて、

溜飲を下げた、、、つもりだった。


結局俺は高校卒業後に、その専門学校に編入することになる。

形は、高校受験の仇を討った気概ある行為と思いたいのだが、

不合格の呪縛を解くとか、捲土重来だとかのつもりでは無く、

当時はただ単に、、、

 ゛まだ社会人になりたくは無い、このまま働くのは、嫌だ!

  もう少し、学生気分を満喫したい”、、、

それだけだった。



今に思えば、俺にとっての初試練、、、それが高校受験。

苦い思い出と共に鈍く甦ってくる、、、拗ねた青春の陰。

2016年1月20日 (水)

SMAP

その存在を知ったのは、「夢がMORIMORI」というテレビ番組。

当時メンバーだった森且行が活躍した、スーパーキックベース

のコーナーが好きだった。

この後、SMAPは大きく飛躍することになるが、スーパーアイドル

への道は、紆余曲折いろいろあったと思う。


彼らもいい大人となり、今回大きな岐路に立った。

その先に見えているものが何であれ、

過去に例を見ないほどの年月を、第一線でスーパーアイドルとして

走り続けて来た彼らの生き方を、ただ見守り応援するより他出来ない。


SMAPの前にSMAP無し、そしてSMAPの後にSMAPは無い。

2016年1月16日 (土)

1月16日。

亡き父の、90回目の誕生日だった日、、、1月16日。

亡くして3年目、まだ過去のこと、、、では無い。

 

引き摺るのでは無く、ただ片すみにとどめておく。

悲しみは薄らいで行くが、忘れ去るものでは無い。

この日は、、、

俺にとっても、必要不可欠な日だったのだから。

2015年12月14日 (月)

おもかげ

仕事帰り、親父の散歩コースだった公園に立ち寄ってみた。

風景は変わらぬまま、其処ここに親父の面影が!

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2015年12月12日 (土)

12月12日

朝の血圧測定中のお袋が徐(おもむろ)に・・・

「今日は、イチ・ニ、イチ・ニの日やね!」そう云った。

今日は12月12日、、、だからそうなる!?


水前寺清子さんの歌、、、『365歩のマーチ』。

歌詞の中に、「one・two、one・two・・・」と、

連呼する部分がある。

イチ・ニ、イチ・ニ、、、確かに行進のリズムだ!

゛しあわせは 歩いて来ない だから 歩いて 行くんだね・・・”

歌は、そんな歌詞で始まる。

2015年11月29日 (日)

たんがく

蛙のことを「たんがく」と呼ぶ。

ほかに、「びきたん」や「わくど」とも。

昔、お袋が話してくれた民話にこのたんがくの話がある。


あるところに、年老いた母蛙とその息子蛙が住んでいた。

母蛙の遺言は、死んだ骸は川辺に埋葬するようにというものだった。

普段の息子蛙は天邪鬼な性格なので、どうせ山に埋めてと頼んでも、

きっと川辺に埋葬するだろうと考えた母蛙の、逆転の発想だった。

ところがこの息子蛙、根っからのひねくれ者とみえて、

「遺言くらいは聞かにゃならんばい」と、遺言通りに川辺に埋葬する。

それ故に、大雨で川が氾濫すると「母蛙が流される」と、

息子蛙は泣くのだというのだ。

それから天邪鬼なひねくれ者を、たんがくと呼ぶのだと。


その話を聞いた幼いころの俺は、、、

どれほど親不孝な蛙が多いのかと、雨の田んぼで思ったものだ。



ただこの息子蛙、遺言というものが厳粛な掟であることは

把握していたからこそ、そのことは頑なに守ったのだ、、、

母親の思いとは裏腹に。


故に、どんなに親しい間柄も、いや近ければ近いほど、

思いは交わし合わなければ、思うほどには伝わらない。

それは分かっているけれど・・・・・・

言葉に出来ない、、、情けなさ。


俺も相当な『たんがく』なのだ!

2015年11月19日 (木)

親父が逝った日。

2013年6月7日午前7時半を回ったころ、、、

自宅の電話に親父の危篤を告げる電話が入った。

えっ!

寝耳に水とは、このこと、、、だって、転院してまだ3日目。

今日は、要介護認定の審査が病室で執り行われる手はずの日。

昨日は悪いなりにも平静を保っていたと云うのに、どうして?


それから、どのようにして病院へ、病室へ駆けつけたのか?

記憶はまったく無い。


病室では、蘇生の為の心臓マッサージが施されている最中。

病床をぐるりとスタッフが取り囲む隙間から、

親父の胸部を押し進める動作が垣間見える。

痛々しい光景、、、入れ替わり立ち代わりの流れ作業に見えた。

病室は6人部屋で、重篤な患者さんのためにあるような場所。

容体の急変がそうさせたのだろうが、

その場での蘇生処置は、相部屋の方々にも動揺を生んだ。


それからのことは、時系列では語れないほどに記憶が定かでは無い。

主治医の話も上の空で、詳細はうろ覚え。

ただ、鮮明に目に焼き付いた光景がある。

それは、心臓マッサージを施すスタッフの輪の外、

病室入り口付近に呆然と佇む若い看護師さんの姿。

それが何なのかはわからないが、俺の目には、、、

その場にそぐわない違和感ある光景に映った。


そのことを、何故に今頃思い出したのか?

親父が何かを語りかけているのだろうか?

2015年11月17日 (火)

履歴

書棚の引き出しを何気なく整理すると、

一枚のコピー用紙に綴られた、年表形式の履歴書があった。


走り書きではあるが、簡単明瞭に俺の歴史が描かれている。

もちろん、何の変哲も無い平凡な内容でしかない。

よくも此処まで、変化や感動に乏しい人生を送って来たものだと

感心するほど、、、ただ淡々と日々をこなしていたんだろう。

これからも、大した人生では無かろうがしかし、

生かされている以上は、生きて行くしかない。


こんな年表どうでもいい、、、そう呟いてまた、

そんなコピー用紙を引き出しに戻す俺がいる。

 

 

 

2015年10月25日 (日)

ろく三郎(仮称)

そんな風な名前のラーメン店が昔あった。

仕事終わりの遅い昼食で立ち寄っていた。


国道に面していて、駐車場が広かったから、

長距離トラックのドライバーも多かった。

大盛ラーメンに稲荷寿司3個、、、定番だった。


10数年ぶりに、その国道を通ってみた。

見慣れない定食屋の看板に架け代わっていたが、

其処は紛れもなく『ろく三郎(仮称)』の店だった場所。


外食をしない親父が、俺にせっつかれて仕方なく・・・

仕事に関する買い物以外でお店に入るのを、

極端に嫌う変な親父だったが、ろく三郎では、、、


「ラーメン大盛、稲荷3個、2人前!」


大きく定番メニューをコールしていたなぁ~。

2015年10月17日 (土)

公民館

近くに公民館がある、、、隣町の。

わが地域には無いのである、、、公民館が。

理由は分からない、地域の成り立ちに

関係があるような気はしているのだが・・・


その公民館は築50年以上で、今も現役。

ただ、最近は使われているような気配が無い。

建物ばかりか、人も老朽化が進んでいて

使用者も、その目的も減っているのだろう。


昔は裏に広場があって、子供らで賑わっていた。

春には満開の桜、秋には圧巻の紅葉・・・

公民館を彩る季節の風物詩も、いまはむかし。

Imagesrrclzk7q          ~公民館 Google 画像 参照~

2015年10月14日 (水)

希望

希望と書いて、のぞむと呼んだ友がいた。

両親の思いとは別に、彼の悩みは・・・

女の子に間違われる名前だと云うこと。


ギリシャ神話のパンドラの箱。

それを開けると、あらゆる邪悪なものが解き放たれて、

最後に残されたのが、希望だったという。

「どんな苦難にも、めげることなく雄々しく立ち向かってほしい。」

そんなご両親の願いが込められていたと、後に聞いた。


異国の日本に生まれ、どん底の生活を余儀なくされた
父親と、

それを支え続けた母親の間に生まれた経緯を知り、

いつしか名前へのコンプレックスは無くなっていったのだと。


いま彼がどこでどうしているのか?

口笛が妙に上手な彼のことを、ふと思い出した。

2015年9月28日 (月)

運動会

秋晴れの朝、肌寒さを堪えながら急ぎ足で学校へ。

はやる気持ちがそうさせるのか、テンションも高め。

もともと大勢が集まる場所は苦手だけど、

少しばかり足が回っていたので、徒競走は嫌いでは無かった。

ただ、競技や演技に参加していることより、

運営にまつわる裏方の作業で、運動場を駆けまわる方に、

妙に楽しさや嬉しさを感じていた。



 

2015年9月26日 (土)

好奇心

???を、見過ごせない思い、、、こころ。

幼児には多くあるものだと思うが、

歳を追うごとに減って行く、、、もちろん、個人差あり!


経験を得る過程で湧いて来る不思議や疑問???。

それを好奇心が素早く、解決へと導いてくれる。

その繰り返しが創造力を高め、飽くなき探求心へと繋がる。

そうやって人は、いろんなことを成し遂げてきた。

不可能と思われていたことも、可能にしてきた。


めざましい進歩を遂げ、花形へと登りつめた自動車産業。

チャレンジ・好奇心を原動力に、様々な難題を完遂して来た。

・・・そう、思っていた。

フォルクスワーゲン社の失態は、一企業の信用失墜に留まらず、

業界への信頼を揺るがし兼ねない、由々しき問題へとシフトした。


新たな好奇心を持って現れるであろう若き探求者の未来を、

このようなことで摘み取ることの無いように、

この問題への取り組みは、真摯な態度で臨んでもらいたい。

 

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            ~Google画像 参照~





 

 

2015年8月 8日 (土)

親父の足跡 ~70年前~

昭和20年3月28日、親父は大阪工業専修学校高等部電気科を卒業。

それから出征する訳だが、その辺りの詳細を聞かされた覚えが無い。

ただ、戦地に赴くことは無かったと、聞いたような・・・。



大阪生まれの大阪育ち、、、それも定かではないが、

関西訛りの九州弁を喋る親父を、異邦人のように感じたこともあった。

『戦争が無くて、あのまま大阪に居ったら学校の先生しよったなぁ!』

そう云えば、理数系には滅法強い{自称}親父が、

高校生の孫に数学を教えていた状況はまさに、

ベテラン教師の貫禄が、十分に備わっていた。


ただ、その想いを聞かされた当時の俺の思いは・・・

『ほんなら、俺や妹・弟は、おらんやったとたい、、、この世には』

そんな風にねじ曲がった、歪(いびつ)な感情では無かったにせよ、

腑に落ちないものを抱え持ってしまったのかもしれない。


いずれにせよ、過去があって今がある、、、切ない関係性でも、ある。

 

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